師母の怒り

私が師母の道場に通って訓練を受けている時には、師母はチョット習ってすぐに自分を世界一のマスターと自称する者を警戒して、どんな小さな生意気な口をきく者と態度をする者に容赦のない罵倒をして、ケチョンケチョンにみんなの前で吊るし上げていた。私は生意気な口をきいたこともないし、そんな不遜な態度をしたことも無かったが、ただ、師母は私が日本人であることを気に入らない。白人アメリカンを一時間もクソミソに罵倒して、大きな身体をした白人自称武術家が涙を流したのを見たことがある。そして、アメリカンの女優志望女性であっても、許さなかった。今、流行りのNHKの番組で有名となった、ボーっと生きてんじゃねーよ❗️てな具合で、頭と鼻から湯気を出して、大声の中国語で罵倒するから言ってることはみんな分からないが、怒っているのは師母の表情ですぐ分かる。私も例に漏れず、三十分ほど、クソミソに大声で叱られたことがあるけれども、私は平然として、意に介さなかった。私が悪いことをしてもいないのに叱られる理由がないことと、私が道場で一番練習をして、毎日通っていたので、私には自信があった。そして、毎日通った分、上達が一番早かった。そこで、師母は複雑な気持ちを私に抱いているのだ、と理解出来るようになっていた。日本人で武術の経験が充分にある者が尤氏長寿養生功の技術を私が真綿が水を吸うように,一度教えられれば、すぐに出来るようになる私に別な意味で警戒心を抱くようになったのだ、と。私が尤氏長寿養生功とそれを継承する師母を一番に尊敬して敬意を払っていたのは、誰の目にも明らかであったろう。師母の心の中では、毎日通って来て可愛い奴だが、戦争で中国人を殺戮した日本人の血が流れている者を通氣にまでして良いものか? 私は是が非でも通氣を受けたいと思っていたので、通氣になる前には、誰にも負けない氣のチカラをつけて、站椿功の時には、一時間立って、止め、の合図があっても、自分の納得のいく時まで立ち続けた。座禅も同じことをした。別に師母に印象づける為にしていた訳ではない。身体が瞑想を欲するようになっていた。こころと精神が食べものを欲しがるような状態になっていた。こんな状態を三年ほど続けた頃に師母の態度が劇的に変化した。プーハオ不好、と言わなくなった。そして、何かワザの説明をする時には、必ず私をみんなの前に呼んで私を徹底的に心ゆくまで私を投げ飛ばしたのである。この頃にはそんな私の地位が当たり前になって、先輩同輩が私をいじめることも無くなっていた。師母が私を信頼して来たのであった。良く行った中華料理屋のテーブルでは師母が私に隣に座れ、と言うようにもなって、まるで母親と息子のような関係になり、私の冗談にも腹を抱えて笑って反応することとなった。中国人の信頼を勝ち得るには時間がかかる。しかも秘密の伝統の究極のワザや通氣などの受け渡しには時間だけでなく、心と心のつながりが大事なのだ、ということを思い知ったのであった。こんなことは言わなくても当たり前に人間性のある者ならば、誰もが知っていることではある。が、知っていることと出来ることは別なものであるということも知るべきである。