別れと出発

ホームページにも掲載していたことではあるが、このことに触れると私は感情が激して、涙がどうしても流れて来てしまうのである。涙無くしては語れない。

私が修行を終えて、最終の練習も終えて、私が師母に「師母、明日日本に出発します、今日が最終の練習です。」と言うと、師母はプイっときびすを返して、二階の自宅に帰ってしまった。なあんだ、私が日本に帰るというのにこんなあっけなく別れになるのか?と不審に思いながら、私のバッグにシャツと毛布を詰め込んで鉄製の玄関のドアを開けて、私の車に乗ろうとしたら、誰かが、ミッツ、ミッツ、My  student! と言って泣いている。見れば、師母であった。私は走り寄って、コンクリートの歩道に正座して中国武術の叩頭と言う拝師の礼をして、号泣をしてしまった。走馬灯のように、二十年に及ぶ毎日の過酷な訓練の日々が目にいっぺんに浮かぶのであった。師母も泣いている。この時ばかりは、師母の目に涙を見たのは、後にも先にも最初で最後であった。まさに、鬼の目にも涙である。あれほど嫌いであった日本人の私に純金の指輪と師母の若い時の写真を私に渡して、たくさんの道場生を持て!と言うのである。私の足取りは重く、脚を引きずりながら、車に乗って帰宅したのであった。このことを話す度に私は何時も泣いてしまう。感情が激してたまらない。師母は私が去った後には私の話しが出ない日は無かったと私の後輩道場生から後になって私が聞いたことである。私はそれまでは武術を、この尤氏長寿養生功ほどに全身全霊で修行したことは無かった。尤氏長寿養生功の修行に関しては、後悔することは毛筋ほども無い。それだけの訓練があったからこそ私の今がある。勁空勁は現在円熟期を迎えて、現在の私の指導員に全て伝えられている。その伝承には私は満足している。私の感覚で受け取ったものを私なりに変化させてはいるのであるが、その本質のワザや基本功は習ったものと変わらない。むしろ、私が開発した技術は少しでも進化したのではないかと自負しているのである。初対面の講習会参加者との氣の交流である勁空勁は今、百パーセントの成功率を達成している。ここまで来るのに三十年もの年月が流れた。ジッとしてサボっていた訳ではない。毎日、毎日、考えて試して観察して科学的な態度で勁空勁を研究して来たのであった。それまで来るのには時に相手の頭突きが私の鼻に命中して鼻血が出たこともあり、レスリングの選手と押し合いへしあいのケンカのような試し合いになったこともある。また、タヒチのテッコンドーの生徒たちを一人残らず、触らずに海へと投げ込んだこともあった。とても楽しく、面白い、前代未聞の実験を繰り返して、実地に尤氏長寿養生功の氣のチカラと勁空勁を試して、その効果を確認、私の未熟なチカラが効果を実感出来ないことの方が多かった事実も報告しておかねばならない。しかし、この氣功のルールを守って試した時には、ビックリするほど、そのワザの効果を確認出来たのも事実であった。それで、初対面の人に勁空勁をかける可能性を 信じて、現在に至るのである。    人間は一パーセントの確率であっても、人がトライすることは無駄ではないだろう。三十年の間のトライはついに実を結び、尤氏長寿養生功のワザとして後世に残ることが出来るのである。嬉しくも楽しい、幸せな時を過ごして来たのであった。このように自分の時間を熱中して過ごすことは苦しみを感じる暇も無く、自分の人生に幸せを感じながら、老いて行く。老いも感じない人生となる。私は幸せな人生を送っていると断言出来る。