努力 雫の一滴

生まれつき、才能に恵まれていなかった私は、幼い時から、働いてお金を稼ぎ、自分に道を切り開くことしか生きていく方法手段は無かった。才能も金も無い者が他人と競う手段は毎日努力することしか無いことを心の底から思い知ったのは、アメリカで尤氏長寿養生功と出会った時であった。私の先輩たちが四年も十年も前にスタートしてすでに通氣にもなっていた者に追いつき、追い抜く為には、師母が超高齢になられていたことに加えて、私の筋肉、運動神経では不充分で、私が通氣になるかならぬか分からない状況であったので、師母と毎日出来るだけの直接の氣の交流をするしかないと考えて、毎日二回の練習に参加して努力するしか方法は無いと決心したのである。自分の身体の大きさや運動神経が他人より秀れていると自慢する者が多いが、この尤氏長寿養生功だけは生まれつきの才能、体格は関係無く、絶えまぬ努力が作る功夫(ゴンフウ)であった。この修練方法は日本人の性格、特徴にぴったりなものである。二十年の修練の後の世界各国での勁空勁の実験であるトライアルで自信がついた私はその集大成として、日本のテレビ局の番組に出演してさまざまなスポーツ選手と武術家との氣の交流で勁空勁のワザを試す機会に恵まれたのであった。私のワザが全ての人に成功したワケではない。失敗を次の成功の糧として、実験と観察を続けた結果、現在の私がある。今は氣が繋がれば、身体のサイズは関係無く、勁空勁をかけられるようになった。努力は才能を凌駕する。雨水の雫は岩に穴を開けることが出来る。雫の一滴は時間が経てば、岩に穴を開けて貫通することも出来るのだ。努力を怠ってはいけない。