❷ドクター尤の逸話、先輩の証言

私の先輩にもう故人となった、ドクター尤の教えを受けた女子中国人のおばさんがいた。当時七十歳であるから生きていれば百歳を超えている。私がたった一人の日本人で孤軍奮闘していたのを見かねて、私にいろいろなアドバイスをくれた親切な人である。この人は尤氏長寿養生功に健康目的でドクター尤と師母がサンフランシスコに来た当初から道場生になった女子中国人であった。彼女から聞いた話である。ある時に師母にジャンプさせられていたのであるが、あまり運動神経が良い人ではなかったようで、後ろ向けに倒れて頭を床に打ちつけそうになった瞬間、ドクター尤が椅子からサッと立ち上がって、彼女の頭を片手を差し伸べて彼女を受け止めたので、頭を床に打ちつけることを避けることが出来たと言うのである。当時ドクター尤老師は二本の釣りを使って歩いていた。またある時にドクター尤老師がズボンの裾をまくって、自分の脚の筋肉を見せてくれたことがあったそうである。見たところ、脚の筋肉は角材のように四角になっていた、と私は聴いたのであった。筋肉と言えば、これは師母が私に言ったことで、夫婦であるからドクター尤の裸を見た時には、ドクター尤の脚の筋肉の大腿四頭筋はとんでもない大きさであった。しかし、大腿四頭筋の裏側の筋肉、ハムストリングはほとんどついてはいなくて柔らかだった、と言っていた。これらの証言は私の修行には重要なヒントとなって、筋肉の付け方の研究に大いに役だったのである。この中国人のおばさんとは、友だちとなって、私が日本のテレビに出て収録したビデオを毎回見せて私の上達の進度と方向性をチェックしてもらっていた。他にも私の通訳を買って出た中国人で別なおばさんもいて、道場生のあいだで、日本人の評判の悪さの割には私は中国人と友人になっていた。このことがあって、タヒチに於いても現地中国系タヒチアンとも友人以上の付き合いが出来て、今では家族同様な付き合いになり、彼の亡くなられた父親はまるで私の父親のように、彼は私の弟のようになった。何故か知らないが、中国人と私はウマが合うのである。私の妻は、先生は中国人が好む顔相をしているので、中国人が寄ってくるのだ、と言っていたが、私には私がどんな人相をしているのかも分からない。なんとなく、相手の中国人がどんな風に私を思おうが、私は壁を感じることも無い。逆に中国四千年の歴史文化芸術に尊敬の念があり、教えを請いたいと私が何時も思っているのでその態度を見て好意を寄せているのかもしれない。