師母の逸話

師母の逸話もたくさんある。この逸話は私が直接私の目で見ているものもある。師母は小柄で、百五十センチメートルくらいしかなかった。ある日、道場生全員でサンフランシスコの向かいの街、バークレーと言うノーベル賞受賞者の教授がたくさんいる大学の街でデモンストレーションがあった。師母が全員を空勁で我々全員を投げ飛ばし終わると急に大声でこんなものはインチキだ!武術としてやっているならばオレにやってみろ!と無礼にも叫び声を上げている者が師母の前にシャシャリ出て来た。見れば、私の身体の三倍はあると思われる超巨人のレスラーのような白人のアメリカンであった。それで、師母はあの小さな身体で、あまり上手でない英語で一喝した。

「 Who You! 」と言った。文法的にはWhoAreYou!だが今はどうでも良い、サイズの差があまりに違うその光景はマンガのようにそして、異様な雰囲気となっていた。八十をとっくに超えて、九十歳に手が届く師母に襲いかかる態度であったので、私はそっとそいつの背後に回って、もし何かしようとしたら、後ろからそいつの股間を思いきり蹴り上げてやろうと準備した。身体の大きいアメリカンを一撃で倒すには何時も股間を蹴り上げて、何人も倒していた私は金的蹴りが得意なのだ。一触即発の場面はデモンストレーションの主催者がこの男に表に出るように言って、なにごともなく、デモンストレーションを終えたのであった。その時に取った師母の態度は立派で、八十歳の女性でありながらも、大男を睨みつけて一喝した師母の声が今でも耳に残っている。男であっても、そんな態度は取れなかっただろう。そんな師母を私はますます尊敬して次の日からもっと訓練に全精力を傾けた。ちなみにこの巨人は合気道を習って、あちこち道場破りをする乱暴で礼儀もない悪名が轟いていた者であった。名前もクマールと言う名前の通り、クマのような奴だった。当時、日本の武道が流行して流派のあいだで抗争が絶えない時代であった。合気道をしていても、氣のことを理解せずに闘争の手段としてしか武道を見ない者の多い時代であった。また、師母は中国における横暴な日本軍のやり方が嫌いで、折にふれて、犬と中国人はここからは入れない、と看板が出ていたことを腹に据えかねていた。道場では、何遍も気まずい雰囲気を味わされた。私が同じ立場であっても、同じことを言っているだろう。犬と同じにされてはたまらない。誇りのある人間ならば当たり前である。私は良くこの手の逆差別を受けたものである。香港から来た女性には日本人は中国人を殺すでしょうね!とか在日コリアンからは、アンタは朝鮮人を嫌いでしょう!と言う悪意のある感情的な言い方をされたのは一度や二度ではない。しかし、どんなに師母に罵倒されようが、師母は世界に一人しかいない尤氏長寿養生功の後継者であったし、こんな気性の師母が私は人間として尊敬して大好きであった。またある時には、ガレージを道場代わりに借りて使っている場所の二階には韓国人が住んでいて、練習で大きな気合いを上げるのに業を煮やして師母に文句を言いに来た際に、師母が下手な英語で文句を並べ立てる相手を睨みつけていたら、側にいた中国人の通訳が、突然クルッと向きを変えて去ってしまった。どうして残って通訳しなかった?と言われて、あ、なんだか知らないけども勝手に身体がそうなった、と言って、師母が相手の韓国人に氣で、もう帰れ!と念を送っていたに違いない。と言ったのである。どうもこのレベルになると念を送ると人間を自分の意識で自在に出来るようだ。それで氣の通い合う通訳の方に氣が流れてしまったのだろう。