私欲と公欲

最近、ますます 何故にドクター尤老師が意拳から長寿養生功に転換したのか良く理解出来て来ている。ドクター尤老師が医師であったことももちろんであるが、日本において二人の私欲にまみれた醜い者たちが尤氏長寿養生功を利用して私欲を満足させている事実を見るにつけ、その理由を理解したのである。武術では強さを求めた自己顕示欲いっぱいに時にはウソと虚偽、大げさな表現で自分を飾らねば、ビジネスとしてもやっていけない。そんな輩は人間としての人間性も劣る故に嫉妬深い。私欲にドップリと浸かってカネと自己顕示欲への道をひた走る。私欲から公欲に転換せねばならない。であるので、公欲にするためには医術的な目的に転換する必要がある。武術から医術への転換を考えた。中国人のプライド、メンツは日本人のそれをはるかに超えるのでドクター尤老師は他の武術家から挑戦をされただろうし、師匠の王向斉先生の挑戦者を返り討ちにして重症を負わせた話は歴史に残るほど有名なことである。王向斉老師が練習であまりに弟子たちをケガさせるので、ドクター尤老師が先生、このままでは道場をやっていけませんから弟子たちをケガさせるのはお辞めください、と懇願してケガが無くなった。と私は聞いている。ケガと病気を遅らせて、長寿になった同輩たちを見て、站椿功に健康長寿を推進させるチカラが存在するのを確認して、長寿養生が目的となったのである。私欲にまみれた輩が意拳を学んだら、どんなことが起きるか想像がつくことだろう。医術医学が目的であれば、人命の救済と健康長寿にならざるを得ない。殺人から活人へ、私欲から公欲へ、武術から医術への転換の理由と必然性がここにある。太田氣功道場は公欲、活人、医術、健康長寿が目的である。自己顕示欲と金もうけはチベット密教の瞑想には似合わない。