武術であれ、スポーツであれ、なんであれ、ただしているだけのものであれば、それはただの体操や、好きでもない心のこもらない、食う為の職業のひとつであって、感動を自分でも感じることがない、ましてや他人とそれを見た者にも感動を与える魂がこもらないモノでツマラナイ人間の活動である。一流超一流のワザを伝える者には魂が籠って、それを見る人に感動を与えることになる。そういうレベルにならねば師範と言う名称を使うことなど先人に対して畏れ多いことでもあるのを理解しない愚か者ほど自分を自分で師範と呼ぶのである。何故ならば、それがただの食う為の手段であるからである。芸術のレベルにまで昇華させぬうちに先人の名を汚す行為を犯すのだ。精神が昇華してとことんまで煮詰まった想いの詰まったワザを行なう時に魂がほとばしり、その魂が見る者の心を感動させるのである。社会を誤魔化し、社会に自分を褒めてもらいたい、認めさせたい、ひねくれた根性には魂はこもらないものである。師母とドクター尤老師のワザには魂がこもり、我々弟子たちに常に感動を与えていた。私は私の師母とドクター尤老師を遠い目標にして、いずれは、ドクター尤老師と師母のように私も魂のこもったワザを完成させる為に毎日の修練を欠かさない。