貧富貴賤

貧富貴賤を選べずに生まれる我々の人生は例え、富貴の家に生まれても富貴を保てるとは限らない。貧賤の家に生まれても努力精進して富貴の身になる者がいて、また、幼少期には今にも死にそうなくらいに身体が弱かった私は、成長すると共に自分でも驚くほど身体が健康になり、大学時代に習いたかった武道を始めて、その武道の教授に抜擢されて渡米した。両親を亡くした私にとって、アメリカでゼロからの出発は今考えるとベストの選択であったに違いない。艱難辛苦の末に道場経営と住む家を購入してその後もいろいろなことがあり、ついに私の夢の究極である尤氏長寿養生功に出会いを許されてまたゼロからの出発となって、三十年のあいだ、毎日一切の妥協の無い修行を敢行して通氣となって、日本での教授を許されたのであった。数奇な私の人生は戦後、貧賤の身に生まれて栄養失調だったのではないかと思われる私の身体を何とか強くしようと武道で鍛えて整骨整体も習い覚えて、必死に身体を強くした。逆に、生まれて丈夫に育った者が身体が弱くなった者もいるだろう。だから、人生は不思議で面白い。自分次第で、どのようにでも自分を変えられる。毎日を妥協することなく必死に生きて来た私はたくさんの患者と氣功の道場生が待つタヒチへと来年出発する予定になっている。老後に海外に移住することは一般の日本人にはなかなか難しいだろうが、以前から海外に何回も武術の調査などに出かけた私には何ともないことである。私にとって、第三の人生のスタートになる。幼少の時にタヒチで氣功を教えて東洋医学の治療院を開くことなど、想像が出来たであろうか?