静寂と躍動

氣のエネルギーを養成するにはどのようにするかという問題に尤氏長寿養生功のアプローチはユニークで、ドクター尤老師が研究して考え抜いて、西洋の国のドイツ留学 の後、おそらくは西洋の哲学と考え方が目に見えているものの範囲内での医学であったことにドクター尤老師が生まれた中国の見えない氣についての考え方が中国武術東洋医学に脈々と流れていることに比較して、西洋と東洋の良いところの融合を考えたに違いない。尤氏長寿養生功を三十年のあいだ訓練した私が気づいたことがある。何故に勁空勁が尤氏長寿養生功の独壇場でこんなにも出来ているのであるかと言えば、見えるものと見えないものの両方を究極にまで訓練して突き詰めるとその見える正の ベクトルと見えない負のベクトルの幅が大きくなって、氣のエネルギーが養成される事実に私が気づくことが出来たのであった。正のベクトルが站椿功と震脚ジャンプであって、負のベクトルが瞑想となる。これ以上動けぬところまで動き、これ以上静かになれぬところまで静寂になる。この正負のベクトルの差を私は氣のエネルギーの量を決定すると私は結論づけた。そして、この静寂と躍動が充分でなければ、教授するレベルに到達出来たとは言えない。このレベルに到達出来るまでには私は三十年を要したのである。私に従って、十年を越して修練した指導員は教授するに充分な訓練を受けたとして私は彼にタヒチへ移住する前に通氣を授ける予定である。通氣は免許皆伝のような

もので通氣を受けた者のみに尤氏長寿養生功の継承を引き継ぐことができる。巷には通氣にもならずに勝手に継承したとか、日本の古来の氣の武術を創設したとか勝手に自称している者がいるのであるが、単に尤氏長寿養生功のマネをしているに過ぎないと私には思われる。又、尤氏長寿養生功のニセ瞑想を教える者はその負のベクトルのエネルギーだけで、瞑想のまたもや、師範と名乗ることに対して冷ややかな嘲笑で反応するしかないのである。私のこのブログ記事を読んで、また自転車操業で生徒に得意顔で説明するのであろうか?