技を究極にまで高めると、非常に苦しく、耐えられぬほどの訓練には大抵の者はしかめっ面をして、いかにも俺は訓練をしていると言うような態度をしている者がいるが、実はこのレベルでは高まりを極めてはいない。本当に実力がつくと動作は小さく、中に秘められた氣がほとばしり出て自分の回りにオーラが取り巻いて、誰も近づけない雰囲気が漂って、顔が穏やかに見えて傍目から見るとまるで微笑んでいるように見えるものである。この状態が達人の域に達した者の技である。微笑んでいる時には顔の筋肉が緩み、全身の筋肉も緩むものである。と言っても至難のワザである。一朝一夕には出来るものではない。いつも言うように何年もの修行の後にそれは達成される。初めのうちは私も苦しい訓練には辛さに耐えられずに、顔が歪み微笑むことは出来ない。しかし、いつの間にか、この辛さが修行で当たり前のことだと受け入れることが出来てからは微笑んで自分から積極的に自分にもっと負荷をかけた訓練を課すようになっていった。技に対する自信が出来るようになったのはこの頃である。例えば、虎の型とか、舟こぎ(合気道の舟こぎとは違う)などの訓練には最大の負荷をかけて行なうようになった。また、弾腿と言う基礎訓練も師母は好きで、七十年間のあいだ毎日行ったと言っている。これも私は最大の負荷をかけてするようになって、私のやり方で出来る者はいなかった。技の段階には様々なステップがあって、これで良いと言う段階は無いどこまでも上の階はあって、死の前日まで訓練するのである。