愛にはいろんな愛がある。夫婦愛、家族愛、友人愛、師弟愛、などが頭に浮かんでくるだろう。私が破門した者たちには愛が無かったように思われる。愛は一方通行で自分だけに愛を向けて欲しい、と思えば関係性は壊れる。私は今、毎日タヒチから連絡を受けて私の安否を気遣ってくれる道場生たちがいて、日本にも私を心配してくれている道場生指導員がいる。私には家族が無い。私の妻が五年前に他界したからだ。この年でたった一人になっても気遣ってくれる他人がいることは、そしてまだ私を必要としてくれる他人がいることは一般には無いことであると思われる。日本にもタヒチにも私と道場生には愛がある、と言えるだろう。一人で寂しいと思ったことはない。毎日は楽しい嬉しい幸せな日々なのである。日本にもタヒチにも家族と一緒にいるような気分で何の不安や心配も無い。テレビを見てもある言葉に感激したり、音楽が流れてくると以前に聞いた曲には立ち上がり踊り始める、こんな感じで毎日を過ごしている。勉強する時間が足りないくらいで、リハビリも、瞑想もせねばならない。リタイアしたと言っても忙しいのである。まだまだ尤氏長寿養生功を教えることが残されており、タヒチでは零からの出発である。が、すでに道場生は集まっている。またすでに私とタヒチの道場生のあいだには心の交流、愛はすでに存在する。愛の無い人生は寂しいものである。私が毎日嬉しい楽しい幸せな日々を過ごしていることができるのはみんなの愛に支えられているからであると私は思うのである。愛は全ての邪悪なものに勝つ!