ホンモノ

私には信じられないことであるが、最近の日本では、ニセモノが流行り、何でもホンモノでなくても良い、と思う者が増えているのだと言う。この風潮は日本人が日本人ではなくなってしまうことになると私には思えるのである。そう言えば、私の氣功道場からもニセモノ尤氏長寿養生功の道場を開き、ニセモノ瞑想道場を開く者たちが出ているのであるが、ホンモノは時代を越えて、国境人種を越えて、いつまでもホンモノであり続ける。ニセモノは手を変え、品を変え、都合が悪くなると団体の名前まで変えて、生き残ろうといづれ朽ち果てるそれぞれの団体の延命を図る無駄な抵抗と努力をしている。ホンモノになるのは時間がかかる。そして、とても難しい。労力を惜しみ、カネやモノと自己宣伝が欲しい者はサッサとケツをまくって、醜態を晒して道場を辞めて、自分のチカラの無い道場を開けて平然と自分で自分を師範と呼んでいる。私は二十年間の過酷な修行の後に歳老いた師母の助けになればと思い、アメリカに戻って、再度、師母が亡くなるまで修行した。氣功のホンモノの師匠であっても死は訪れる。盛者必滅の理は誰にも訪れる。しかし、ホンモノは受け継がれて行く。決してニセモノになることなど無い。ホンモノは日本の私の今の道場生指導員に残されて、ホンモノのワザは日本で発展を遂げるだろう。ニセモノがまた、ホンモノを真似て、ホンモノもどきを装うが、金のメッキが、純金になる道理もない。ロバが馬になる訳もないし、スズメを鷹と呼ぶ者もいない。ニセモノはニセモノであり続ける。ホンモノは時代を越えてホンモノであり続ける。ホンモノはその実力を認められて国境を越えてもホンモノであり続けるのである。ホンモノは例え一時期逆境に落ち入っても、不死鳥のように蘇る。回りの人が放っておかない。ニセモノが日本でいかにもてはやされても、ホンモノを求める人が必ず出てくる。ホンモノの肉体は消滅してもその精神、魂は生き残る。その意味で、ホンモノは永遠に生き続けるのである。ニセモノは一代限りで、その先は無い。魂が無いからだ。ニセモノを受け継ぎたいと思う者などいない。一代限りの自分の名誉や名声とすぐに無くなるカネやモノに心奪われるニセモノは永遠の生命無く、その団体も長続きせずにその悪名は永遠にホンモノの足下に刻み込まれるのである。もうすぐ、我々尤氏長寿養生功のホンモノの本の出版が始まる。この本は氣を訓練する者のバイブルとなる。この本の英訳も考えているから、全世界で読まれることになる。私はタヒチの島の丘の上の家から日本の状況を見守ることとしよう。タヒチでも、本の出版を考えている。この本はフランス語、英語、日本語に訳されて破門に処したニセモノ師範の名前を載せて、永久にそのバイブルに刻み込まれることは間違い無い。