芸術へ向けて

武術が人と競争して人を殺す道具とすれば、武術は芸術とは言えないだろう。尤氏長寿養生功は英語で言えば、 physical arts   であり、 martial arts  であり、 medical arts  である。尤氏長寿養生功は身体的アートであり、武術的なアートであって、医学のアートでもあるからその本質は芸術でしかあり得ない。氣は万物の根源であるから一つの分野だけでなく、武術でも、身体活動でも、医学の分野であっても関係なく、自由に行き来して各分野の後押しをするエネルギーとなる。そのエネルギーを作るのが尤氏長寿養生功なのだ。師母ほど長くはないが、長いあいだ修練を積んで勁空勁をほとんどの初対面者に体験させることが出来るようになった今、尤氏長寿養生功の存在意義は武術ではなく、芸術として存在するべきであると私は考えている。勁空勁を取得するまでの期間の長さ、過酷なまでの修練 の 内容、現代の 身体の芸術であるバレーや日本の能楽狂言などと訓練と心構えが同じ内容であると思う。近代医学の外科の名医は、神の手を持つドクターと呼ばれる。古代中国では神妙で不思議で驚異的なことを神、シェンと呼んだ。ドクター尤老師も中国では、神拳の尤と呼ばれたのはこの理由で、触らずに人々を投げたり、コントロールしたからである。神妙のワザを身につけている者は芸術家である。人の持つ潜在能力を引き出す者は芸術家である。単なる武術でなく、スポーツでもない、単なる鍼灸師、単なる中医でもない、芸人、職人でもない。上述の理由を以って、尤氏長寿養生功を私は芸術家になる道であると力説したい。殺人のワザから人命救済のワザに、人命救済のワザから人々の魂を呼び起こす、感動させる芸術へ向けて尤氏長寿養生功は絶えず昇華する。