人間の生き方と価値観

有史以来、時代の変遷の流れと共に人間の価値観と生き方は変化して来た。植民地主義の横行していた時代には発展途上国に攻め入って資源を奪い取ることは正義と思われていた。人命も軽く扱われ、日本でも、赤紙と言ってハガキ一枚の値段が日本人男子の生命の価値であったこともある。人間の歴史は戦争と殺人殺戮の連続で、その歴史は未だに続いている。中国の内家拳は身体の内側を鍛え上げて、氣を練ることによって自分の健康を守り、長寿を目指して毎日修練する。武術の修行が健康養生法となった。価値観を変えて目的を殺人から健康養生とした。これまでの競争や闘争の道具となっていた武術の目的を変えて異なる生き方と価値観を持って現代に即した武術とする。尤氏長寿養生功には新しい生き方と価値観を提供するに余りあるチカラが内在している。私はタヒチの地からその生き方と価値観を世界に向けて発信する。尤氏長寿養生功がこんなにも高尚な内容を持っているのに、その武術と瞑想を自分の都合で己れの見栄と見映えの手段としてカネも一緒に儲けたいと目論んで、チカラのないウソと虚偽の道場を開けた者たちには人間の生き方とか価値観とか言うものは頭に浮かんだことなど無かっただろう。悪いことをしても謝罪する言葉も気持ちも無い。どのみち崩壊する偽りの道場をシャカリキになって無理して維持するには相当なストレスがあるに違いない。生き方や価値観とかを思索する余裕もあるまい。謝罪も無く、自分がウソと虚偽で作った道場を解散しなければ、私が世界に向けて書く尤氏長寿養生功の教本に破門された者たちの名を記されて、永劫末代その恥な名前が残ることになる。これより先の人間の生き方は争いを避けて病者弱者を助け、役に立つ情報を交換して平和に共生、共存するものではないか?と私は考えている。己れ一人の利益追及の為には手段を選ばぬ心の生き方は余りに古く陳腐で利己的で、これからの時代にはそぐわない。共存共生、平和実現の peaceful  な心とそれを実現出来るホンモノのチカラが必要である。理想と現実の調和と融合である。