氣感

私が講習会で参加者を投げたり、コントロールすることができるのは相手が氣を感じる時のみの場合に限る。いくら尤氏長寿養生功と言っても、氣を感じない人間には何の反応を与えることは出来ない。麻酔薬の効かない患者に手術を行なうようなものだ。ある者は氣感を感じるまでには数年かかる。またある者は私と目が合っただけでも、身体が震えたりして反応が起きる者がいる。個人差のある世界であると思われる。武術や医術に応用される時にこの氣感のない者とある者の差は天と地ほどの差が現われる。圧倒的に氣感のある者が武術が上達し、医療の面では、病気やケガは早く治り、薬は良く効き、病気を寄せつけずに健康になって長生きする。だから、私は講習会の前に氣感を高める準備をしてもらって講習会に参加してもらっているのである。せっかく講習会に参加してもらっても氣感のない者には私はどうも出来ない。しかしながら、人は誰もが氣を持って生きているのであるから氣感のない者などいない。私にとって、初対面者との勁空勁の交流は永遠のテーマであって、限りなく百パーセントの成功率に近づいているが完全に百パーセントになるまで死ぬまで修行なのである。百パーセントになるかならないかということは問題ではない。挑戦していたかどうかが問題で、全力を尽くしたかどうかの問題なのである。