朋友遠方より来たる

去年、タヒチを訪れて、宿泊先に自宅の隣のバンガローを提供してくれて、すっかり家族同様な仲となった道場生が来月初めに来日する。初め、フランス人とは距離感を感じていた私は彼と朝方共に瞑想することを繰り返すうちにすっかり心が打ち解けて、大の仲良しとなった。優しいポリネシアンの奥さん、天使のような子供達、彼の家は小さな山のてっぺんにあり、頂上付近には滝がある。家のプールの水は滝から引いて、水道料金は無料である。高校の数学の先生で、真面目で、生徒のことをいつも考える愛溢れるナイスガイである。ナチュラリストで海でのウインドサーフィンが大好きで毎日外で過ごしている。一度滝のところまで行こうと誘われているが、私の脚では辿りつけないだろう。タヒチに行く前に脚の状態を良くしてから滝に行って、一緒に瞑想したいと思っている。来日したら道場で訓練して、日本を案内する予定で新幹線で京都まで行って寺社巡りを一緒にしたいとも考えている。タヒチからは私の友人たちがオリンピックの観戦に来る予定で、かなりの数のタヒチアンが来日するだろう。日本の作る製品に絶大な信頼を寄せて、日本びいきになっているようだ。淡路島くらいの島だから、バカンスの時には一か月くらいの休みを取って狭い島を出る。日本人には羨ましい生活スタイルだろう。最近良く想うのだが、日本人の心、義理人情などが日本人には無くなって、外国の、例えばこのタヒチに住む人達がそんな日本人が失くしてしまった心を持っているのだ。ギスギスした、ケツをまくって許可も無い実力も無い者が自分の道場を開いて、自分のボロとほころびを隠すようにして自称師範と名乗って社会に目くらましの術をかけて、道場の運営をする行為を見た私は今、タヒチの人々は人間として、彼らに比べれば、眩しく、輝いて見えるのである。風光明媚で住む島が小さいから人情が日本人のそれとは比べようが無いと言うかもしれないが、そんなことを言い訳にしては日本人がすたる、というものである。どうも最近、義理や人情が薄くなっているように思うのは、私の歳のせいだろうか?私はまるで自分の家族が日本に来るようで嬉しくて、嬉しくて、居ても立ってもいられない。当然、悪い脚で、成田空港まで迎えに行くつもりでいる。また嬉しからずや!