苦は楽の種

私の今現在の人生は楽なものである。日本の太田気功道場の指導員、道場生が私を助けて、タヒチの道場生が私のビザ取得の為に奔走してくれており、タヒチでは鍼灸オフィス、気功道場のスペースは島の町の中に確保されて、住む家も海を見下ろす丘の上にある素晴らしい家の一室を下宿することになっている。これは一重に私が尤氏長寿養生功の苦しい訓練に耐えて、先輩同輩のイジメに耐えて最後に師母からこの気功武術の教授のお墨付きを頂いて、海外や日本での勁空勁の実験を重ねた結果、この今現在の楽があると理解している。楽をして得た後には苦が待っていて、苦の後には楽がある。これは真理である。人生を長く歩めば、誰もが経験するものである。私が何もしなくても、どんどん前に進んで行く。こんなにも楽をして良いのであろうか?障害物は自然と無くなり、ビザの問題はあったけども、いつの間にやら解決してしまった。神様が采配してくれているのだろうか?そうとすれば、神様に手を合わせたくなって来る。私はとても、とっても、幸運な人間である。人生の中で、滅多に会うことのない世界的な武術の達人である師母に出会えて、そればかりか、勁空勁の達人である三人の師、楊氏太極拳のヤン チェンフー老師、意拳の王向斉老師、尤氏長寿養生功のドクター尤老師から習った師母から教えを受けた私がそのエッセンスを受け継いだことは、現代に生きる私にとっては、奇跡としか思えない。百五十年前の武術の訓練を、稽古をつけられて会得したワザは私の身体の中に刻み込まれている。私がそれらの苦しい修練を経験してこそ、今現在の私がある。血と汗と涙の訓練の後に、今の楽があるのだ。平坦な道をスイスイ歩いているようなものである。今思い返せば、苦しんで良かった。自分が好きで、誇りを感じることを職業としている。これほど愉快なことはない。これほど幸せなことはない。人生の晩年になって、生きる喜びを見つけ、感じていることはなかなかにあることではない。苦しみの極は楽しみの種になる。好き好んで苦しみを求める必要は無いが、自分が心の底から好きで誇りを感じるものには大いにもがき苦しんでいると、必ず、楽になる時が訪れる。神様は我々の努力をジッと見ていてくれている。ありがたく思えてくる。