努力はウソをつかない

努力することを嫌がって、ウソをもってその道の権威をデッチ上げる者では何も成し遂げられない。努力した者には努力した分だけ、ぴったりと報われる。当然なことである。ウソをつく努力は努力じゃ無い。真摯に努力する者は人の目には見えなくても、天と神と氣は見ているのである。見えないチカラは努力する者に味方する。氣を侮ってはいけない。氣は想像以上にパワーがある。努力する者のところに氣が集まってくる。氣と言うものは10ワットの電球を100ワットの電球に変えてくれるような働きをする。例えば、私の膝を極限まで曲げることは出来なかったのであるが、今は思い切り極限にまで曲げることができるようになっている。つい一週間前にはそこまで曲げることは不可能だった。プラスチックのイボイボの踏み台を一日三百回踏んで、血流を良くして今までの膝の動きを確認して痛みのあった膝を九十度まで思い切り曲げたら痛みとしびれが消えていた。血流が良くなったからだ。一日に三百回でこれだけ良くなったので、一日千回やったら、もっと良くなるだろう。私の努力はまだまだ足りない。イボイボの刺激が私の神経に触り、我慢出来ぬほどの感覚だが、良くなることを思えば何のこれしき!と思い、我慢する。足がポカポカと暖かくなる。さあ、今晩も千回やったら更に良くなって、何ができるようになるか楽しみである。ひょっとして走れるようになるかもしれない。