金太郎飴と個性

日本の教育はそつが無いけどつまらない。個性を潰される。教師自体がそのような教育で育ったからだ。人物が小さくなっている。従順で、小賢しい計算高い事なかれ主義の日本人を大量生産して企業に都合の良い生産性の高い者を養成する企業と政府が手を握りあって、このような事態となっている。個性を伸ばせない教育は教育と言えない。一歩頭が抜きん出ればモグラ叩きのように叩かれ、足を引っ張られる。国民全員が標準的で同じようになっているとみんなが安心する。だから傑物が出なくなった。教育の意味がEduceと言うことを誰も知らない。Educationと言う意味の本質は引き出すと言うことである。アメリカでチョット学校にも通ってみたが、平均的意見は排除されて、奇抜でユニークな意見は尊重、尊敬されて、そのユニークなやり方を実現しようとしていた。人生が実験であることを小さい時から教育していた。アメリカが十九世紀、二十世紀に飛び抜けたのは、こういった個性を伸ばす教育の賜物ではないか?日本に同じことを今やれ!とは言わないが、振り返って自省する必要はあるだろう。私も金太郎飴にはなりたくなくて、アメリカに行って好きな医学、お金と頭が足りなかったので、西洋医学は学べなかったが、東洋医学の漢方と鍼灸を学んで、氣功も教授するレベルまで探求出来た。私の個性を大事にして花開かせた。自分にしか見えない、出来ないモノをテーマにして一生を生きる。何と人生は楽しく、嬉しい、冒険に富んだものであろう。個性が発揮されて人生は幸せなことになる。