通氣の秘密

通氣の秘密をここで明かすことは出来ないが、どんなことであるかを伝えることは出来る。尤氏長寿養生功を金儲けの手段や自分の売名と自己宣伝、自己顕示欲の達成の手段とする者たちが知ってしまえば、さらなる秩序の混乱とドクター尤老師と師母の意図とは真逆の方向に本人たちの勝手な欲望の餌食になってしまう。そんなことをさせないのは私の責任でもある。どんな小さな私の言うことでも、商売にする商売人であるから、私も気をつけねばならない。尤氏長寿養生功が利用されてはいけないのである。私は金儲けを考えていた訳ではない。たまたま、私の習った尤氏長寿養生功の勁空勁がどれほどの威力があって、どんなことにその能力を活かせるのであろうかと模索している時にテレビ局が取り上げてくれたので、道場生が三百人も五百人も集まり、お金の方から、私の方へ集まったということであったのである。自然にそうなった。無欲な者にお金が寄って来た。それも、長年の厳しく辛い訓練によって培われた強い氣があったからである。通氣は尤氏長寿養生功を長年訓練した者がある時点に来ると通氣をしなければ、それ以上の段階にいけなくなるので、エネルギーを丹田に降ろすことで、弟子を楽にしてあげる儀式なのである。これを簡単に考えて、すぐに薬草を飲んで通氣になると思った痴れ者もいるが、そんなことなどあるはずもない。地道な訓練の後にそれは師母の方から言われることを知っていた私はその時のタイミングを待った。自他ともに私の実力が充分についたと思った時にそれは訪れた。通氣の時期は自分で決めることではない。あくまで師の判断による。通氣になれば、武術的にも医術的にも思うままにチカラを出せて、格段のチカラが出ると言われていた。しかしながら、私は通氣になる前に通氣の先輩を投げ飛ばしていたから、その時点で、私は自然に通氣になっていたかもしれない。どっちであったにせよ、通氣になれば、丹田に氣が降りてそれ以上、上に氣は上がらなくなる。そして氣が通る経絡が太くなって、経絡が太くなる分、経絡を通る氣の量が多くなる。そうなった時には、手や目、身体から出る氣の量が前とは比べることが出来ぬほどの氣が放出されて何をしても効果が発揮されて、我々のする活動をバックアップするエネルギーとなるのである。この原理を知る私は武術に医術に氣を使って、講習会で初対面者を投げ飛ばし、コントロールして、痛みのある患者を初回一回の治療で完治させることが出来ている。この氣のチカラが他の分野でも発揮出来るのではないか?と探って研究している最中なのだ。オリンピックの競技にも採用出来ると私は思っている。通氣にならずとも站椿功と震脚と座禅などの訓練でオリンピックの競技に有効な手段となるのではないかと考えている。