インターネット

今現在の世界では、インターネットの技術を覚えて、スマホの使い方を知らねば生きるのに支障が出て、若い者にバカにされる。私は時々、腹が立ってくる。負け惜しみで言うのではないが、そんな少しの機械の技術的な扱いは人間の本来の知能と人間性などとは関係の無いことである。それらは手段であって、コンピューターが出来るから秀れているのではない、コンピューターを使って何を成し遂げるか?が問題である。私はコンピューターの扱いなどを学習したことは一度もない。だから、その文明の利器とやらのコンピューター、インターネット、スマホの扱い方を習いたいと思う。こんなことでバカにされるなら、こっちにも反撃する材料がある。英語を外国人と対等にやり取りしてみろ!と。英語もコンピューター、インターネット、スマホも私にすれば、同じことに思える。それらは手段であって、手段を使って何を成し遂げるか?が目的である。学習する機会があれば、習えるものであって、私は英語ができることを自慢したことも無いし、英語が出来ない者をバカにしたことも無い。私がコンピューター、インターネットを扱えないことをバカにするなら、学習してバカにした者の上を行くしかない。手段を学んでも幸せになれるか?目的を間違えてはいけない。これから先は毎日勉強する覚悟である。5歳の子どもがオモチャがわりにスマホをいじり、大人顔負けに使うことができるのは毎日の遊びの中で覚える、慣れと言うことであろう。私もこれからは毎日学習して慣れねばならない。こんなことが自分の知能を開発することとは思えないが、今の時代には必要なものである。時流に乗らねば取り残される、同時にフランス語の勉強もしなければならない。七十になって、ますます忙しくするべきことが増えて行く。しかし、楽しいことでもある。知らないことを知る行為は脳にストレスを与えて脳を活性化する。脳を活性化することが健康長寿につながるのである。脳が柔軟になる。老後に言語を学ぶ。新しいことに挑戦する。などの行為は脳を鍛えて身体にも良い影響を与えてくれる。私をバカにしてくれてありがとう、と言いたい。それをテコにして、新しいことを覚えて生活と仕事がもっと楽に、もっと便利になる。脳に刺激を与えて健康長寿にもなる。一石二鳥、三鳥にもなる。手段と目的を間違えてはいけない。私はコンピューター、インターネットの扱い方を知らなくても充分に幸せである。手段を勉強して、もっと幸せになる。