徒手空拳

1972年に日本を離れ、単身アメリカに渡った時には少林寺拳法の道着一枚バッグに入れただけの所持品が唯一の私の全財産であった。所持金は千五百円であったと記憶している。2015年に日本に帰国した時も、最愛の妻を亡くして私一人帰国した。そして、日本のテレビ局に招待されて、尤氏長寿養生功を紹介するためにダウンタウンを投げ飛ばしに来た時も私一人であった。タヒチで二メートルを超える巨人を大勢のタヒチアンの目の前で投げ飛ばした時も私一人であった。今度ヨーロッパのスイス、ドイツで初の講習会を開催する時にも私一人で行って講義と実演をして帰って来ることになるだろう。何も持たずに身ひとつで太平洋を渡り、国と人種、言葉の壁を乗り越えて尤氏長寿養生功を弘めて来た。その間に東洋医学と尤氏長寿養生功を修めて何も持たない私は経験と知識から得た貴重な体験を基にして私だけが到達した境地を徒手空拳の身に背負い、今、生きている。振り返れば、良くここまで生き延びて来られたものである。さまざまな困難と障害があった。万事塞翁が馬と言うことわざがあるが、まさにアップとダウンの半生を過ごして来た。二回の死ぬほどの大病も集中治療室から私一人が生還した。こんな波乱万丈の半生を過ぎて、人生の幸せと楽しみと嬉しさを現在、噛み締めている。2015年に帰国した時には私の氣功道場は跡形も無くなっていた。去年はタヒチに移住するところまで漕ぎ着けたが、事情あって断念せざるを得なかった。来年にヨーロッパ講習会が予定されている。たった四、五年の間に日本からタヒチ、ヨーロッパへの講習会が開かれて、また、さらに発展しようとしている。その間ニセ尤氏長寿養生功やニセのマネ瞑想団体が太田氣功道場から出て、私の心を悩ませたものだったが、ホンモノの氣功のワザを周りが放っては置かない。世界のどこかにはホンモノを評価する者は存在する。もちろん、日本にも居る。私の身には東洋医学と尤氏長寿養生功の勁空勁しかないのであるが、今世界に認められつつある。氣は一旦発せられたら、何処かに当たって、止まることはない。弓矢で射る矢と違い、氣は当たった後には突き抜けて行くのである。物体を通り抜け、国を飛び越え、人種間を行き来する。三次元的な働きをする。もちろん、その氣はホンモノで無くてはならない。ワザと経験、語学力などが相まって、尤氏長寿養生功の世界的な発展があるのだ。私は実に愉快である。徒手空拳の私が自由に世界を駆け巡り、尤氏長寿養生功のドクター尤老師と師母の名を掲げて勁空勁で外国人を投げ飛ばす。私の運命は1987年に師母に師事した時に180度転換したのであった。私は世界一、幸せな者である。私が理想とする生き方を今現在、しているからだ。