数奇な運命

私が尤氏長寿養生功を知って、この世にも珍しい氣功武術にドップリと浸り、中国の裏社会とでも言える閉鎖的な中国武術に関わったことは、現代に生きる者にとって、滅多に起こることのない運命を背負うことになるできごとであった。日本人の誰も経験しない何百年も前の武術的な修行とチベット密教の瞑想を両輪にして前半の二十年、後半の十年の三十年の月日を費やして、この氣功の氣を練り上げて来て、今、また日本で尤氏長寿養生功を教授している。そのあいだにはさまざまなできごとがあった。左の膝は過酷な訓練の後、突然、左膝が崩れて道路のコンクリートに膝蓋骨を打ちつけて歩けなくなって、家の階段でまた膝が崩れて今度は左手首の橈骨と尺骨の二本の骨を骨折してしまい、それ以来、身体障害者となってしまった。帰国後、イスに座って尤氏長寿養生功を教授しているが、こんな身体で教えることができるであろうか?と不安な気持ちであったのであるが、ケガをしてから、イスに座っての座禅の瞑想、静功を毎朝、毎晩、三十年の習慣となった瞑想を続けて私の氣のチカラは以前にも増して、強く重くなって、イスに座って練習では指導員と道場生を空勁で投げ飛ばしているし、毎月の講習会では初対面の受講者を同じように勁空勁で投げ飛ばしている。また、鍼灸講座では、氣のことを知らない鍼灸師にその場で氣を初めて実地に感じさせて、耳に鍼を打って、氣の効果を実感してもらってもいる。独特な中国武術文化を百歳にもなった師母から、薫陶を毎日二回七時間受けて、尤氏長寿養生功を習得した私の人生は180度転換することとなった。これは私にとって、数奇な運命と言えるであろう。嫌ではない。楽な修行では無かったけども、今、想い起こすと、大変興味深く、冒険的で、楽しくもあった日々であった。今日本に住んでいる者にとっては、起こることがない経験である。この数奇な運命は、私を海外へと誘う運命ともなって、若い頃に打ち込んだ英語の勉強が、この氣功教授に役立っている。道場生の中にアメリカ人がいて、私の母校の大学に入学しているので、私の母校、国際基督教大学支部開設の話も出ている。1972年に休学して以来の母校に戻って尤氏長寿養生功の指導をすることなども、運命的なものを感じるのである。47年振りに三鷹のキャンパスに行くことになる。来年に行くことになるから、48年振り、大まかに言うと、50年振り半世紀になるだろう。大昔の、歴史を感じる数奇な運命なのである。人との出会いは時として、数奇な運命をもたらすものである。