武術と鍼灸

今の私に言わせれば、武術武道も鍼灸も同じことである。今の日本で武術武道を習っても、鍼灸学校に行って国家資格を取っても、していることは同じことである。氣が無い。氣を使わなければ、ただの運動と単なる針を刺す行為である。中身が無い。どれほど格好良く、身体を動かして突きや蹴り、関節を捻っても武術ダンスと治療の格好だけのレベルで一生を終えてしまう。どちらも神妙の域には到達しない。ところが、東洋の文化の源と言える氣を訓練して、氣を意識して武術と鍼灸に打ち込めば、その日から、武術と鍼灸のレベルが変わる。それまでの武術武道に鍼灸はうわべの人間の行為、活動であったと理解出来るだろう。日本の鍼灸師は氣を知らない。氣を使わなければ、鍼灸ではない。なぜなら、鍼灸師は針を氣の流れる深さまでの経絡まで刺して、邪気を抜いたり、正氣を補ったりしなければならない医術であるからだ。氣を知らないとそんな治療が出来ることはない。特に鍼灸は氣が必要である。伝統的に中国では武術家は医術家でもあった。氣のエキスパートであったからだ。尤氏長寿養生功をマスターした私は、武術武道に加えて、東洋医学、特に鍼灸で、達人と言えるレベルに到達した、と言って良いだろうと思われる。自信が出来た。うわべだけの武術やうわべだけの鍼灸ではない。身体の奥に潜む氣を動かせるようになった。当然、勁や空勁で突き蹴り投げが出来ることになって、鍼灸も邪気を抜いたり、正氣を補ったりすることを出来るようになった。自動的な、ただツボに針を刺す行為には氣が存在しない。突き蹴り投げも氣が入ってないものは武術と言えない、ただのスポーツ競技となってしまうだろう。生きた東洋の芸術文化とはならない。氣を習い、死んだ芸術文化から生きたものにしたいものである。私の開いている講習会で、氣に気づいた者は一日も早く、死んだ芸術文化から目覚めて生きた東洋芸術文化にしなければならない。氣は東洋文化の源であるし、氣がなければ、一流の武術武道家鍼灸師にはならない。私が教える尤氏長寿養生功東洋文化芸術を学ぶ者に氣のチカラを与えることができる。一流になることが全ての東洋文化を学ぶ者の目標ではないか?一流になりたくない者には無縁なものだが、目標を持って勉強してその道を究めようとする者には、尤氏長寿養生功は不可欠な手段になるだろう。