全身全霊

生前の尤氏長寿養生功を教授していたドクター尤老師のビデオを持っている私は何遍、その動画を見たか分からない。直接ドクター尤老師から学んだことのない私はこのビデオが、師母の毎日の話や逸話以外にドクター尤老師との唯一の接点であった。そのビデオの中で、ワザを教えるドクター尤老師の言葉に私を印象付けたものがある。全身的!と中国語で弟子に言っている。何回も、何回も言っていたのである。氣が身体の外に出て、相手を投げ飛ばしたりすることには全身全霊の修行が必要なものである。この言葉が私の修行を支えた精神的支柱となった。訓練の時の私は狂人のように何遍投げられようが、何回も、何回も師母に向かって行った。ほとんど立てなくなっている時にも、もう一回、もう一回、もう一丁、と食い下がって行った。相撲の練習で横綱に胸を貸してもらい、押して、押して、押しまくる、練習を見たことをあるだろう。あんな感じで、終わりのない訓練をする。私の全霊全霊のジャンプを師母は気に入っていた。私の太ももの筋肉の周りは、そのころ、六十センチを超えていた。私の身長で、大腿四頭筋の周りが六十センチを超えているのは異常に見えていたに違いない。半ズボンでタヒチで旅行者が私の脚を見て、太田さん、ウエートトレーニングしてるでしょう、とか、日本の温泉で湯船に入る時にも隣の人が私の脚を見てニヤニヤしていた。私の身体のサイズに似合わない太ももの大きさだった。それほどの筋肉があると、歩くと右と左の腿の筋肉が擦れて痛くなっている。そして勝手に勁空勁は出来るようになっていた。別に師母が私に特別投げるテクニックを教えてくれることは一度も無かった。自得したのである。昔ながらの武術の修行とは、このようなものだったか?と私は理解出来たのである。今時の者は手取り足取り、オンブにダッコでご機嫌を師匠が取りながらワザを説明しないと、道場生は逃げて行くだろう。相撲の世界と同じである。封建的で、修行訓練では、容赦は無い。このことを振り返ると、私の通氣は師母から儀式で授かったモノでは無く、私が自得したものであった可能性がある。何故ならば、スポーツ選手の中には、本人が知らぬ間に通氣になる者がいる、とドクター尤老師が言っていたからである。私は通氣になる前に道場の他の通氣になっていた先輩道場生を投げ飛ばしていたのであった。練習だけではなく、社会的にも狂的に、まるで狂人のように社会生活を送れない、他のことは何も知らぬこの氣功しか出来ない氣功バカになっていた。今だに、一般社会生活を送れない老人となっている。全身全霊の修行であった。