文武両道

古来、中国の武術界においては、実力のある名前の知られた武術家は幼少期には身体弱く学問に長じていた者が多く、身体を強くしようと武術を習い始めて最後には武術の究極の境地が宇宙天文や東洋哲学の深奥に通ずることを解し、文を捨てて武の道に入った者が、その明晰な頭脳で武術のワザを理解してその境地を詩や文章に残した。それが後世に伝えられて中国の伝記や物語になって文武両道の言葉として残った。日本に於いても、武士の教養として論語が読まれ、剣の道に励んだことがあった。こうして剣の達人が日本でも生まれた。現代では、熾烈な受験競争があって、武術武道の道に入る者は少なくなった。野球をすると莫大な契約金が入るからと言って親が野球を勧めることもある。カネの儲からない武術などは見向きもされない。では、文武両道は現代では成立しないものなのだろうか?私はそう思わない。武術をすると脳が活性化する。瞑想を行なうと身体能力は向上し、記憶力も向上する。また武術で身体を鍛えると脳細胞が活性化する。筋肉の収縮は筋肉の中にある筋紡錘が脳神経と電気的信号で繋がって起こるのである。であるから、筋肉をあらゆる角度から訓練して鍛えると脳の細胞が活性化して生きる意欲や記憶力、学習能力が向上する。このことを理解すれば、学業と武術、身体能力、文武両道は成立することが認識出来るであろう。アメリカの私の道場に当時、小学生の男の子が入会して来た。元々、利発な子であったので学校での成績は良かった。その子が高校生になって、成績優秀者に与えられる金のプレートに名前を刻まれて、校舎の壁にそのプレートが飾られて高校を卒業して、今ではバークレー大学の物理学部の学生となっている。彼は、体育の授業で大きな黒人アメリカンが見ている前で彼らを尻目にダンクシュートをやってのけたのだ、と言う。この跳躍は我らが震脚で鍛えられた脚と腰の筋肉で可能になった。この事実からこんなスーパーキッズが現代でも生まれることが分かるだろう。文武両道は現代に於いても達成出来る。と私は思うのである。