顔相

ガンシャンと言って、中国では人の顔を良く観察して人物の評価をする習慣が古代からあった。有名なものは漢王朝の祖劉邦である。中年のダメオヤジであった彼の顔相がとても中国人の気に入るものであったので多くの部下が集まり、項羽との戦いを制し漢王朝を打ち立てた。最近、明光武道の開祖カンヨシタカの写真を見る機会があった。観て驚いた。十年ほど前の顔はすっかり変わり、全く別人のような顔であった。飲み食いのインスタを自慢げに掲載しているのであろうが、氣の総師範と称する者がこれほどに顔相が変わることは珍しい。人間の顔は自身の心の内容を現すものである。特に四十代五十代に本人自身の心の在りようが表に出てくるものなのだ。その前までは親の威光や影響が色濃くあり、自分の心をごまかすことも出来る。ある時期を越えれば、自分の顔は自分で責任を持って生きねばならない。歳と共に顔が醜くなって思わず顔を背けてジッと観ていたくない顔では問題があるだろう。私は今、アパートの大家と揉めているのであるが、私と同年齢と言うのだが、身障者の私を特別辛く冷たく扱い、家賃の値上げを行い、四年前の入居時に言ったのに修理も行わない。顔相と言えば、醜いネズミ顔である。あまりに醜く、面と向かって顔をジッと観ていられない。新居がすでに見つかって来週契約するので、このボロボロアパートとネズミ大家から逃れることができるので私は満足しているし気分は良い。カンヨシタカといい、ネズミ大家といい、一歩一歩死に近づいているというのにこんなに醜くなった顔相のままに死ぬのであろうか?生きているあいだに天国に在る境地に至らねば、死後地獄に行くことになるだろう。生きているあいだの最後の心の在りようが顔相を表し、死の間際の境地を決める。