想いとワザ

ワザに執着がある者には師匠の想いが分からない。師匠は自分の想いを理解する弟子にワザを与えたいと思うのである。ワザを習おうと思えば師の考えを理解する必要があるだろう。師母は時に私には冷たくあたり、大声で叱責することもあった。それでも私はワザを習いたかったので、特にそのことには反応せずに師母は何を言っても、何をやっても師匠は師母であると決めていたので師母を信じて師母には忠誠を誓った。師母が私を信頼するまで私の誠意を尽くした。果たして苦節二十年、師母は私の母親のような存在となっていた。その頃には何を質問しても私に答えてくれるようになって私のさまざまな疑問は払拭されていった。ワザはワザだけ習うものでは無い。想いを共有してからワザを習うものであることを学んだのである。ワザをワザだけ習うものはワザにはならず、想いを共有して学ぶことがホンモノのワザとなる。少なくとも私の経験に基づく信念となっている。浅い経験では理解出来ぬかもしれないが、同じような経験を積めば私の主張を理解するだろうと思う。