喜びを感じる時、悪魔と邪気に勝利する

私は大本教の難波先生に氣で人を投げ飛ばしてビックリさせるようなことは何か良くないものに取り憑かれることになるので良くないことである、と言われたことがあったが、そうでも無いのではないか?と思うようになっているというのが私の偽らざる気持ちである。何も私のチカラを誇示したり、自慢する訳ではない。特に長年の痛みや病いに苦しむ患者がいっぺんに改善して驚いた顔をして笑顔になるのを見るたびに悪魔や邪気が逃げて体外に排出するのを見届けて、悪魔と邪気の戦いに勝利出来たことに喜びを感じるようになったのだ。私のしていることを誇りに思うようになった。同じように勁空勁で初対面者を投げ飛ばしてコントロール出来た時にも正氣で体内の邪気を追い出して正気が経絡を巡るようになったので相手が私の氣で動いている、と考えるようになっている。以前は勁空勁をとにかくできるようになることのみに専念してその目的を考える余裕も無かったのであるが、今では、勧善懲悪の悪魔や邪気との戦いに勝利するという大前提の良因良果の行為として勁空勁を打っているので、相手と争う気持ちは無く、初対面の患者や相手の体内の邪気との戦いとしているので何かに取り憑かれるなどという心配が無い。この勁空勁の成功率が今では百パーセントになっているのも、私の心構えがそのように個人的な人との戦いではなく、邪気悪魔との戦いと思うことに神仏が私にチカラを貸してくれているのではないか?と思われる。決して個人的な我欲や売名、自己顕示欲からの行為では無いのである。