希望と思いやり

人生には希望が必要で、希望が無ければ生きることも難しい。太田氣功道場のニセモノたちは我欲によって希望が無くなり、思いやりなどいう心も失くしてしまった人間たちであった。自分が不快に思うことは許さないが、他人を不快にする本人たちには自分本人たちだけは甘く許せるのであった。他人のものを奪っても、平然として恥も外聞も無い。希望さえあれば、カネが無いのも気にならない。理想に向かって進んでいける。私は2月からはワン ルームのアパートに住む予定である。今のアパートの半分しかない。しかし、来年タヒチに移住することに希望でいっぱいなので、現在の生活に満足している。私とニセモノたちとの違いは希望があるか無いかということであろう。今は何もない、持たない私だが、来年タヒチに行けば、日本では得られぬ仕事があって、友人もたくさんいる。しばらくすれば、他にもビジネスをすることも可能になる。期待と希望でいっぱいだ。他人のものを奪うことなどする必要もない。逆に困っている人がいたら思いやりを持って助けてあげたい。以前、大阪で道場を開いていた時に  金銭的にも余裕があったので見ず知らずの他人を助けたことがあったのであるが、彼らは助けてもらうだけもらって、ケツをまくって悪態ついて去っていった。あげたカネも無用なものに使って何も残っていない。希望も無ければ、理想も無い。理想は頭の中にあり、自己の我欲であれば、他人は助けてくれない。協力もしないはずである。どうもニセモノたちは、カネと売名自己顕示欲の我欲の為には恥も外聞も無いようである。