報い

報いなどという言葉を使えば、古臭く、オドロオドロしく聞こえるだろうが、私が尤氏長寿養生功を妥協無くして猛特訓を完了して日本のテレビ局を通してその比類のない勁空勁を披露して、また別の局でも氣の治療で関節リュウマチ突発性難聴などを即治させる番組が放送された後に、良い報いがあったのである。その後の日本では全てのことがうまくいった。とても幸せになった。そんな流れの中で師母がご病気になって、帰って来い!との連絡受けて日本を去らねばならなくなり、ある者に道場を任せたことが大失策となってしまった。この者が私の名を使って道場生から借金したり、私を御簾のうちに隠して自分の権力を集中させて勝手なことをし始め、実力の無さを大本教の教えで埋めて誤魔化すようになった。神さまの名を利用して自分のカリスマ性を増す、こんなことをすれば、私に破門されて当然である。良因良果、悪因悪果である。良いことを成せば良いことが起き、悪いことをすれば悪いことが起きる。これは真理である。この者が今では、神道の中で伝わる氣の武術を再興して自分の氣と融合して新しい武術を創立したと言っているのであるが、神さまの名を利用して我欲の実現をしようとする行為が悪因となって、悪果となることを知らないようである。善悪の判断が出来ない人間であるようだ。その報いは必ず受ける。