名誉と栄光

尤氏長寿養生功を私が知って入門したのは、私の東洋医学鍼灸のチカラをもっとつけるのに加えて、日本の武道の在り方に大きな疑問を抱いて、尤氏長寿養生功の氣功武術の勁空勁が武術武道の究極の形であると直感したことと師匠が80歳を超えた女性であったことに大いに興味を覚えてこの氣功武術を極めてみようと決心したのであった。そして私は三十年の間に毎日二回道場に通ってついには通氣となり、次第に尤氏長寿養生功を訓練することに誇りを感じて、日本にこの氣功を紹介してドクター尤と師母の名も一緒に弘めようと思ったのである。私個人の自己顕示欲やこれで一儲けしようとか思ったことは無い。尤氏長寿養生功を教える名誉とその栄光の為に懸命に努力した結果、その結果として大阪では三百人から五百人の道場生が集まったのである。私心無く行動した時に何かの見えないチカラに支えられてそのエネルギーを感じて練習に集まる者が出て来て、雪だるまのように転がりながら大きくなって行くのである。今の太田氣功道場がそういう状況になっている。一方、尤氏意拳の総師範とキッパリ道場の総大将はそれとはま逆にそれぞれの道場を開くに当たって、道場開設の理由は何であったのであろうか?決して尤氏長寿養生功の名誉と栄光の為であったとは思えない。己れのうす汚ない名誉と自己顕示欲、利己的な自分の栄光の為の行動であったとしか私には思えないのである。私的な自己の名誉と栄光が道場開設の目的では、生徒が集まるはずはない。集まったとしても、どうせ同様な目立ちがりやの自己顕示欲の旺盛な者が集まって、負の連鎖が続くだけのことである。このまま道場を存続しても、自分の人生をウソと虚偽がなかった人生であったと自慢出来るのであろうか?恥ずかしい人生である。私心でいっぱいの自分の栄光と名誉が目的の行為は天が、神が、大衆が嫌って、罰が与えられるのだ。私は尤氏長寿養生功を教授するに当たって、尤氏長寿養生功のドクター尤と師母の名誉と栄光を最大の優先順位と捉えて、日本全国、世界各国にこの氣功武術を今、展開しているのである。