リハビリ

また、デイケアに行ってリハビリをした。奇跡的に脚はむくんでいるが、

不思議に痛みはなくて動きがとても良い。階段を悪い左足で登る。以前は脚の筋力が弱く、登ることは出来ない。

今日は脚に筋力が少しついて左脚で登ることが出来た。あれほど弱く、ちょっとの負荷でも耐えられなかった脚にチカラが入って体重を支えることが出来たのである。二年前に私を知っていた職員も驚いている。筋力をつける機械が物足りなく感じた一日であった。帰宅してから

昼寝をしなければ保たない一日では

あった。少しずつ回復の兆しを見せる

この奇跡は私の精神に多大の影響を与えてくれる。身体障害者であっても、

人生の喜びを感じている。

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アホボン

大阪ではカネ持ちのできの悪い息子のことをアホボンと呼ぶ。ボン、ボンと

小さいときから、甘やかされて、

カネにあかせてただ遊びまわる箸にも棒にもかからないオトコに育つ。と、ここまで言えば、もう誰のことを言いたいのか分かるであろう。私が出会った頃は、

浪人生で、母親と姉に甘えて勉強もろくにせずに言うことと食べることだけは

三人前で、人から与えられる、恵んでもらえることを期待する袋小路に入った

情け無いヒョロヒョロの若者、アホボン

であった。すでに年老いて、もう一人のアホボンも抱える母親は二人も浪人生のアホボンに苦しまされていた。

私はその母親と姉を不憫に思ったのであった。上のアホボンとは縁が切れたが、

この下のアホボンとは腐れ縁がそれ以来、ずっと続くのであった。二人共に

志望する医学部には入る実力はないから毎年浪人する。兄は十年、弟は三年

無駄な時を過ごして、最後に私が引導を

渡すことになる。私が勧めた短大に

入学しても住居を決めない。怒り心頭に来た私が大叱責をすると逆切れして、

話の途中に私の家からプイっと出て行ってしまうのであった。私が使ったカネも

時間も無駄になり、親切でした行為は

恨みを買うだけの結果となる。もちろん

その後でも彼らの家賃は母親の要請で私のポケットから出て行くのであった。

下のアホボンは私の東京道場乗っ取りを計画して当時の私の収入全てを手に入れて若者が手に入れられないほどのカネをフトコロに入れることが出来た。この甘い汁を吸ったことが忘れられない。道場経営がいきづまって、寄付の名目で多額のカネを供出させて、私の名前を使った大借金のカネは高級車と高い靴とモデルのオンナに消えてしまい返済せずに今に至る。

今でもアホボンなのだ。この三つ子の魂は百まで続くと言うから、あと五十年ほどはそのままアホボンである。

このオトコの出生を暴露したのは差別偏見からではない。在日朝鮮人以前の

人間性」を問題にしている。

これからもちょくちょくブログ記事のネタにされることをどのように思うのであろうか?尤氏意拳の宗家創始総師範の

肩書きはアホボンには似合わない。

大分荷が重過ぎるのではないのだろうか?

早く解散してまともに働いてカネを返すべきではないか?アホボンよ、

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強さと弱さ

強いとは、弱いとは、何を言うのであろう?

私は母親の折檻を受けて、火のついた

線香を肌に押し付けられて、そして、兄のイジメにあって、心も身体も弱かった。ケンカをすれば、誰にでも負けた。

しかし、ある日に食事を兄と一緒にしていた時にいつものように私にちょっかいを出してイジメが始まった。積年の

恨みと怒りがついに爆発して持っていた

箸を逆手に持ち、兄の太ももに突き刺した。私の心は氷のように冷たく、無表情であった。

あの兄が泣いている。余程痛かったらしい。ますますイジメが増大する。

高校に入学してスグに、応援団の上級生が、胸倉を掴んで押して来て威圧した時に腰と上半身をひねって、その勢いを

地面に向けたら、どっスーンと地面に

倒れていた。私は以前に肺結核を患っていた

ので、柔道はした事はない。

これをきっかけに本格的に武術武道を習い、もっと強くなりたいと思ったのだ。

でも心と身体は相変わらず弱かった。

強そうに見える者が本当に強いかというとそうではなくて、実は弱かったと

気づいたのは大学に入って少林寺拳法を習って、ある日空手部の人間が急に

何を思ったか、私に襲いかかって来た時に咄嗟に躱していつものボクシングのようなジャブの突きを入れたら、まともに顔面に当たった。私より強そうに振る舞っていた男は弱かった。武術武道を長年すると、強さを求める人間は実は弱く、

私のように身体、心の弱い者、弱かった者は健康になろうとして、長年訓練すると技術が進み無駄なチカラは抜けて、

強くなるのでなく、上手くなる。

現在の私は強いとは思っていない。

武術武道の技術を良く知ってこなすことは他の人より年数をかけただけ出来ると

思っているのである。女性が母親になると急に強くなると言われているが、母親が赤ちゃんの為にゴキブリやネズミを追い回すように

人間は必要になると前には弱かったのが、一変して強くなる。ケンカや試合に勝つことが強いと言うことではない。人生の中で

あらゆる場面で強さが必要な時に強く

なれる人間が強い人間であると

思ったのは、この尤氏長寿養生功

知った後であった。自分は弱いと思う者は実は強いのだ。自分は強いと思っている者は実は弱かった。

チャンピオンになった者は、勝ち上がって来て挑戦されると思う時に不安で不安でしょうがない。身体が震える時もある。爪を噛むオトコもいる。

強さを求めて武術武道を目指すことは

本当に強くなる手段となるのであろうか?何の為に強くなるのかということが

もっと大事なことではないか?

いつも言う尤氏意拳の連中は何の為に

尤氏意拳を訓練しているのであろう?

まさか試合に勝つ為に、ケンカに強くなる為に、と言うのじゃないだろうな。

だとしたら、よっぽど弱いかよっぽど

バカでアホウだ。

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来者不拒、去者不追

師母はイタズラで、良く男子道場生の腰の命門に手を当てて氣を感じては、顔を

ジロっと見て、ニヤニヤしながら、

昨晩何をしてたんだ?とからかった。

ある日、私の前に来ては、通訳の男に

ベラベラっと中国語で言う。中国語が理解出来ない私は何を言ったかと聞くと、紙に漢字を書いた。来者不拒とある。

女性を断らないだろう、お前は、

とっさに冗談を言いたいんだな、と察した私は

去者不追と書いてやったら、そこに居た

中国人は全員腹を抱えて大笑いしている。冗談ではない。毎日七時間訓練している私にそんな女性と一緒にいる時間などはない。しかも働いて、得たお金のほとんどは月謝に消えている。

師母は良く妻帯者にこんな冗談をしていた。茶目っ気があって良く道場生を

からかって笑っていた。

漢字は様変わりしている。韓国では

漢字はもう消滅してしまった。ハングル語だけである。中国では革命漢字、唯一、まともに旧漢字を使うのは台湾で、

日本では旧漢字は使わなくなった。

私が中医学を習えたのは漢字を知っていたことが大きい。他の白人アメリカンは

この時のやり取りが分からずにキョトンとしていた。日本人を見くびらないで欲しい。こんな初歩の漢字は日本人なら

誰でも知っている。

来者不拒、去者不追、南無阿弥陀仏

体験

経験と体験は少し違うようである。経験が客観的なものに対して体験はもっと

個人的主観的な経験と言うことになろうか。あの鼻くそ尤氏意拳の神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆の体験は、私が手伝って、取った日本拳法の優勝しかない。

姜吉隆が浪人生の時に私に出会い、私には

道場生が三百人も五百人もいたのを見て

これは儲かるとその金銭的な面だけ推し量って、くっ付いていれば、あなたは私の父親ですと言えば、良い目を見られると思ったのだ。でも辛い訓練はごめんだ。カネとモノと良い目だけ欲しい。

私が言うことなすことを利用して形ばかりの道場運営をすればなんとか私の名前と権威の影に隠れて、道場生に服従を強いて、私には適当な報告をして、アメリカにやって来ては自分の休養をする。

こんな人間がたった二回の師母との面会を数年間の過酷な訓練の時間とすり替えるのは朝メシ前であったろう。このオトコには

体験がない。あの厳しい師母との訓練の時間、体験がないから私から聞いた話をデフォルメして嘘をつくしか手だてはない。私のアメリカの家の玄関で、正座して一晩中私の入門許可が出るまで待っていたと言う時代遅れで時代錯誤のマンガに出てくるような嘘を道場生についていた。役者やのう、である。頭が悪いのか

三流マンガの読みすぎなのか 私には

分からない。どっちにしても、体験がないから嘘をつくしかない。私の体験に追いつこうとすれば、嘘をついてそのギャップを埋めるしかない。小さな嘘は

だんだん大きくなる。私に破門されると

自分の独立を宣言しなければならない。

それにも嘘の上に嘘を重ねばならない。

真っ赤な嘘となる。もうこうなったら、

神様の名前を出さなければ、自分の権威を保てない。神様もいい迷惑だろう。

私には体験が全てである。体験以外、

話はしないことにしている。だから、

話す内容には嘘がない。当たり前なことである。相手に矛盾があれば、私の体験を基にその非を正す。もちろん、私が

全部すべてにおいて正しいとは言ってない。私が誤っていれば謝る気持ちはいつでもある。私の人生の大半は武術武道で過ごして、自分の精神的支柱も武の哲学であったから、体験していない者があたかも

体験したように振る舞うことに敏感で

許せないのである。

姜吉隆よ、今からでも遅くはない。

体験せよ!体験こそが全てである。

もっとも、お前には武術の体験ではない。まともに働いて、奪ったカネと私の名前を使って作った借金の返済の体験である。

 

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使命

論語に五十にして天命を知るとある、人間は五十を過ぎると天命を知ると言う。私は五十の時には、アメリカに戻り、師母との訓練に精を出していた。

その時は天命を知ってはいなかったが、

今、日本に戻り、私は私の天命、使命をやっと知ったのである。この世にも稀な

氣功は、私がもっとも得意とするもので、私がもっとも誇りに思うものである。そして私が集まる道場生に影響を与えることができると。

これこそが、私の天命であり、使命であると自覚した。私は最近、寝ずに瞑想

訓練をする。寝ることが勿体無い。

だから、テレビを見る時は寝てしまうこともある。そう言えば、師母も私が車で送り迎えする時はコックリコックリ

寝ていたのを思い出す。もしかすると、師母も寝ずに瞑想していたかもしれない。ドクター尤が寝ずに瞑想していたことは聞いて知っている。ドクター尤ならば、当然のようにしてのけるであろう。

チベット密教の活仏が夜、寝ずに瞑想するからチベット密教に帰依するドクター尤、師母も

寝ずに瞑想していたに違いない。

私はラッキーだ。こんなに稀で、世界で最高の武術氣功を直接三十年もマンツーマンで、日本人の私が習うことが出来た。名誉なことである。しかも、私は

師母の道場生の中で一番可愛いがられた。写真を撮る時も、師母はだれかれに

肩を抱かせることなどはしない。しかし、私は構わずに師母の肩を抱いて写真

を撮った。師母も気にはしなかった。

信頼関係があったからだ。不思議な感じがする。最初の頃は口もきかずに私を見ると不機嫌そうであった。まさか私が

師母の肩を抱いて写真を撮るとは、、、。

師母亡き後、日本にこの氣功を伝える者は、私一人しかいない。とすれば、この

氣功、尤氏長寿養生功を日本に伝え、

広めることこそが私の天命、使命である。私の命尽きる時まで、一心不乱に

突き進むしかない。私が二回も命に関わる病気をくぐり抜けて助けられた事実は

私の使命がまだ残されている、何をやってるんだ、こんなことで倒れているヒマなどない!と、

先人と私の亡くなった妻が、私の耳元で

叫んでいたのであろう。もうこれで良いと言われるまで使命を果たす覚悟である。

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英語で言えば、belief  、ということであるが、師母はいつも、氣があることを

疑うな!氣を信じろ!毎日訓練すれば、必ず、氣を使えるようになる。相手をコントロールできるようになる。と言っていた。私は師母の言葉を疑ったことは無かった。そして回りの先輩同輩が私が日本人であることを嫌い、露骨に敵意を表しても、私が練習する相手は彼等ではない。師母だけが私の練習相手であると

自分に言い聞かせて訓練に励んだ。

脚はだんだん重くなる。どんなに重くなっても、どんなにこのジャンプで止めようと思っても、続けてジャンプした。

これが自分の限界であると思うのは幻想であると、訓練するうちに自分で気づいたのである。そういう訓練をしているうちに休養でタヒチに行った時に開眼をするのである。私の肩を叩いた人が後ろ向きに小走りに走って、仰向けに倒れてしまった。何事でもそうだろうが、信じることである。信を貫くところに道は

開ける。そして、今、氣を信じ、この氣功に集う指導員を信じ、私と彼等の間に信が存在して太田氣功道場が前進している。

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