私の幸せを分けてあげたい

私は私のこれまでの波乱万丈の人生を経て、ついに尤氏長寿養生功に出会って、

今幸せになった。太田氣功道場に集まる

道場生に厳しい訓練を授けて、今度は、

道場生に幸せになって欲しい気持ちで、

一緒に訓練している。尤氏長寿養生功に出会う前は私の事で精一杯で他人を

幸せにする意欲も無ければ、幸せにする

方法も知らなかった。しかし、今は、

私は大好きな日本に帰ることが出来て、

この私が世界で一番の最高の氣功を

日本で教授出来る立場にある。

心に余裕が出来て、今はどのようにして太田氣功道場に集まる道場生を強くして、上手くなって、幸せになってもらうかということばかり考えている。

人は幸せになると人には親切になり

人を幸せにしたいと思うようになる

ようである。私の幸せを分けてあげたい

のである。人によっては、どこまで

いっても、分けるなどとは思わない者がいる。むしろ、ますます我欲を通して

欲しがるばかりの人間もいるようだ。

仏教で言う餓鬼の世界である。今の

私は天国、極楽にいる気分だ。こんなに自分だけ幸せで良いのか?良いものならば、分けてあげたい。こちらからあなたの方へ行くことは出来ない。尤氏長寿養生功に、太田氣功道場に来てもらえば、

幸せになる方法を教えてあげられる。

瞑想と基礎訓練をすると心身が変化して、以前の自分は白黒の映画のようで、

心身が変わるとカラーの映画のようになって、自分の人生がポジティブになり、

ついに幸せが訪れるのである。

私の道場生にすでに、そんな道場生が現れている。

私の幸せを分けてあげたい。

人生の尊厳

これまで、私が言って来たことは

人生をどのように考えてどのように

切り開いて行くかという人生論で

あった。普通一般に命の尊厳という

言葉があるが、私は人生の尊厳という

言葉を普及させたい。この日本の社会には何かの権威を傘に着て、弱い立場にある後輩や下級生を利用してとことん

奉仕させて、ひどい場合、カネを供出させるパワハラをするとんでもない日本人が結構存在する。私はこのような者を許せない。他人の貴重な人生の中の時間と

財産を奪う悪質な行為である。そんな

関係はサッサと切るべきである。人の

人生を何と考えているのか?こんな

行為をする人間は自分がされる場合は

敏感に反応して、自分だけは不利益を被らないように姑息に行動して、パッと身をかわして逃げてしまうものだ。

実に変わり身が早く、自己の保身は

見事にやってみせる。カネを奪うように

掠め取って、カネを取られた家族に迷惑をかけても、本人はどこ吹く風である。

こんなことをする奴は人生の尊厳などは考えたこともなく、自分のカラッポの頭にはそんな概念もあるはずはない。

頭にあるものは今日の飯と酒である。

何とも腹の立つ奴ではないか?

他人の人生の尊厳を認められない者は

命の尊厳をも認めることはない。

私がアメリカで倒れた時も、私の命が

どうなろうと、私の人生が崩壊しようが、どうでもいい。自分の保身しか、

頭には無かったのである。カネさえ

手元にあれば、贅沢さえできれば、

今日のメシ、酒さえあれば、人生

バンザイだ。

しかし、以前に述べたように陰陽の

エネルギーは移り変わる。私が日本に

戻った限りは、潮目は変わった。

姜吉隆の嘘と虚偽は暴かれて、ニセモノは駆逐されて、ホンモノは頭角を現して、ホンモノが残りニセモノは消える。

他人の人生の尊厳をリスペクト出来ない者は他人からリスペクトされない。

目に見えるもの、即物的なものにしか

興味がない者が武術や氣功を訓練する。

目に見えないもの、氣を訓練する理由は

カネを手に入れることが目的だけである。もし、神の武術、瞑想と言うなら、なぜに教えた生徒に氣の触れる者や

精神と肉体がおかしくなる女子生徒が

出てくるのであろう?

人生の中の貴重な時間を無駄にした

罪は何かの形で償うことになる。

人生は命である。命を乱雑に扱う者は

自分の人生が乱雑に扱われる。

因果応報である。陰は陽に変わり、

エネルギーの強いチカラは弱いチカラに

とって変わり、時代は変遷して行く。

嘘の命と人生は誠の命と人生が駆逐する

いつまでも嘘と虚偽は続かない。

生徒がすでに離反し始めている。

内部崩壊だ。次はアゴで良いように

使っている指導員の番である。

自分の団体を掌握出来ずにメシや酒を

食らっている場合ではない。

社会の常識とルールを守れない者は

この社会から追い出される。

自分の師匠をないがしろにする者は

生徒にないがしろにされる。親戚のおじさん、おばさんをバカにする奴は

他人にバカにされる。全て因果応報である。

命と人生の尊厳を認めることが重要だ。

 

 

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宗教其の二

神の権威を使って人心コントロールせねばならない尤氏意拳の姜吉隆はそんなに

自分のチカラに自信がないか?

一方、私の率いる太田氣功道場には、女子道場生はそんなにたくさんはいないが、その氣の効果たるや、私が驚くほどの効果結果を出して、ジャンプの音は

とても強く、重く、尤氏意拳の指導員を

凌ぐ勢いで本人も納得の結果となっている。たった6カ月ほどの訓練でそうなった。宗教や神の権威なぞは一切使ってもいないし、話してもいない。ただ、基礎訓練と氣の交流ジャンプと我々の師母

伝来の訓練とワザである。催眠術も使っていない。正しい氣功の訓練だけである。尤氏意拳は穴だらけの修行形態を

何かで埋めようとするので、自分でも

理解していないチンプンカンプンな

神の領域の話や見てくれだらけの

大本の聖地での座禅の写真などを掲載

して、雰囲気だけは、何もわからない者を煙に巻いて、人集め、集客をしている。中身などはない。私の太田氣功道場は

そっけないほど、何も飾るものはないが、中身の氣は来る者をグウの音も出ないほどに投げ飛ばして、口や神の権威でコントロールするのでなくて、氣で

コントロールしているのである。

雲泥の差、月とスッポンである。

たった一カ月や二カ月の訓練と、

私の三十年に及ぶ師母とのマンツウマン

のハードな修練との圧倒的な違いである。このまま行けば、まもなく尤氏意拳は潰れ、

太田氣功道場はたくさんの道場生を抱えて、その名を轟かすであろう。

嘘と誠の違いである。

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宗教とbrain control

 宗教と洗脳は時折、新興宗教カルト

集団に良く見られることだが、私が

時々、触れる大本教、特に出口王仁

郎聖師については、百五十年も前に

勁空勁と同じこと、ドクター尤老師がしていた超能力と同じことができる日本人

神道家で、私が興味を持って、深く

研究してみたいと思い、文献を読んだり、大本の団体に足を運んでいたから

である。つい先日、尤氏意拳関係の書き込みをチェックしていたところ、またもや、大本教を利用して洗脳しているような動きを女子生徒が察知して、払ったお金を返して欲しいとのことであった。

尤氏意拳は、神田真澄こと姜吉隆は、

生徒の氣を狂わしたり、神道を利用して

洗脳したり、宗教を使って、集まる人間を良い方向には導いてはいないようである。カネの亡者が武術を教えたり、瞑想を教えれば、邪気を受けて、生徒が

悪い影響結果となって現れて当たり前である。教えるに充分な訓練修練を積んで

無ければ、そうなって当然だ。特に

女子生徒を見る目が、宗家と指導員が

普通で無ければ、女子生徒が何か違和感

を持ってもおかしくはない。

私は宗教をキリスト教仏教チベット

密教神道と勉強したが、宗教を

日本では葬式の時だけに特化する傾向が

あるが、私にとっての宗教とは人生の

指針となるもので、生きる上で必要な

ものであった。宗教を使って生徒を洗脳したり、道場生の人心コントロールに使うなどと思ったこともしたこともない。

そんなことをするのは、自分に自信の

ない者が良く使う手である。私には

師母とのマンツウマンの三十年間の

厳しく楽しい修練があるので、そんな

馬鹿げた、宗教に寄りかかった、洗脳や

神の権威を利用して自分を格上げする

必要はない。私の経験を伝えて、ワザと

瞑想の基本と応用、東洋哲学を伝える

だけで充分だ。そんな生徒を繫ぎ止めるのに大本教を利用すると、大本教

哀れではないか?しかし、いづれは

神が尤氏意拳の宗家指導員に神罰、天罰

を下すのは目に見えている。怖ろしい結果が待っている。とばっちりを食わないように、さっさと彼らから離れることである。月謝をもう渡さない。エネルギーを受けないように関わらないことである。今、その女子生徒が体調が悪い、

問題を抱えてる、カネの無心をされているなどのことがあるならば、即刻退会して、もう二度と関わってはいけない。

何度も言うように、今この世に生きている人生は一度きりで二度はない。とても

貴重な自分の人生の時間を無駄にしないことだ。尤氏意拳でなくとも、もっと

優れた本物のものが他にあるはずだ。

私の氣功道場に来いとは言わないが、

自分に合わないと感じたら、即刻

その団体を離れるべきである。なぜなら、その合わないと感じたものは

直感だからである。氣功は直感が

全てである。自分の直感は唯一

自分が信じられるものだ。

もっと自分を信じて良い。

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人生其の三

私が私のプライバシーを公開したのは

愚痴を言う為でも、私の自慢話をしたかった訳でもない。人間がものすごい逆境

にあっても、そこから這い上がることが

できるということを言いたかったのである。私は前述の貧困無学の両親と

アメリカでの東洋人特に日本人に対する差別偏見と全力で闘って、英語習得、氣功習得、東洋医学特に鍼灸の分野で究極のポイントまで自分なりに極めた。

思えば、アメリカでは私に勉強の機会を

与えられた。日本では勉学を続けることは無理であった。しかし、母親を乳ガンで大学在学中に亡くして、医学の道に

進みたかったが、東洋医学中国医学

以外は選択の余地は無かったのである。

また、猛勉強して、カリフォルニア州

鍼灸医資格試験に一発合格したのであった。このアメリカの鍼灸試験には、日本

と違って漢方の試験も同時にある。

脳味噌が溶けるのではないかと思われるほど勉強した。英語では白人アメリカンには負けてしまうが、この試験では、私が一番に早く書き終わり、日本人の面目を保ったのである。浪人生含めて、千人

受けたが、二百五十人しか受からなかった。消毒と自身に鍼を打つ実技もあった。私はこの二百五十人の中に入っていたのである。

人生にどんな逆境があろうと、自分の智慧と努力勤勉をフルに活用して必ず

その逆境をはねのけて、人生を切り開くことができる。出来ない時は、自分の

努力勤勉が足りなかったと知るべきである。時代、時代に、場面、場面で、逆境は訪れる。そんな時は焦る必要はない。

智慧、努力勤勉をフルに動員して、対処すれば、活路は必ず、開ける。

そう、人生は素晴らしい。

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人生は素晴らしい

私は最近、私の人生を振り返り、人生

というものは素晴らしいものであると

思うようになった。私の生まれた家は、極貧で私の両親は共に明治生まれで、

特に母親は小学校も出ずに養女に出されて手に職をつけたけども、父と結婚して子供を四人も作り、生活は苦しく、

貧しかった。母親はそんな生活に疲れて

一番小さくて弱い私にやつあたりをするようになった。教育には無知無関心で

授業参観には誰も一度も来なかった。

当時の小学校中学校では戦争帰りの

元兵隊が先生であった。良く殴られた。

当時教科書は自費購入で、新学期の

時は私には教科書がない。買えなかった。給食も自費で払うが、払えたことはなかった。今でも思い出すが給食費が期日まで払えなくて、思い切って先生に

殴られたものである。中学校では、

良く先生に目をつけられて、ことあるごとに殴られた。ある時は竹の棒で、冬はストーブに使う小さなスコップで、

中学三年の時は、どう考えても、私が

悪いことでなくて、私だけが殴られて、

我慢出来ずに、他にもお前が殴らねばならない奴がもっとそこにいるだろう、

この野郎、と言ってやったアホ担任もいた。どうやって仕返ししてやろうか?

待ち伏せしてどう鬱憤を晴らすか、

寝ないで考えたこともある。こんなに殴られた理由は私のせいではない。私の

兄がちょっと不良で粗暴で良くケンカを

していたらしい。それでその弟ということでいつも目をつけられていた。私は

一念発起して猛勉強をして、当時一番と言われた受験校の高校に合格する。

高校ではさすがに貧乏だからとか、兄が

乱暴だからということでは殴る先生もいない。殴っても、体格は先生と同じか

もっと大きいので、殴り返される。

男子生徒しかいない。私の故郷は

特に高校はバンカラで、成績の優秀な者は優遇される風潮があって、ますます

勉学に励んだ。無学な両親の手から逃れるには勉学して東京に出るしかないと

幼少の頃から貧困の生活から抜け出すことを考えた。

そんな甲斐あって、大学に受かり、東京に出た。ひょんな経緯でアメリカに行くことになる。楽に在米生活をしていた訳ではない。さまざまなことがあって、

ついにドクター尤老師欧陽敏師母の

尤氏長寿養生功に出会い、本当に

過酷な修練の後、通氣の免許皆伝を受けて、2015年に日本に帰国する。

いつ死んでもおかしくないような、日本に戻るまでの行程であったが、無事、生まれた

日本に戻れて嬉しい限りである。

日本語の他にも英語はほぼ完璧に

話したり、聴けたり、書いたり出来るようになった。この世界に類を見ない氣功もマスターした。思えば、極貧、日本人への差別、私の永住権保持を利用される経験などを経て今がある。今まで関わった武術武道の中で

私がもっとも尊敬して大好きな尤氏長寿養生功を教授出来る立場になって、

いろいろな問題を抱えながらも、この教授する栄誉は私を幸せにして、この氣功を通じて、縁あって知り合える道場生は私の宝物となって、極貧から氣の長者となった。人生は素晴らしい。努力すれば、欲しいものは手に入り、なりたい者になれる。努力勤勉は人生を切り開く

パスワードであった。

人生は素晴らしい。

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もう一つの若返り健康法

私がアメリカから帰国して、肉を食べることが多くなって皮膚が痒苦なり気になって皮膚科に行ってみたところ、ボディーソープを毎日使ってますか?と尋ねられ、はいと答えるとソープは毎日使わない方が良い。と言われて思い出した。

大本教出口王仁三郎聖師は若返りの方法として風呂に入る時は石けんを使ってはいけないと言う。手には天然の脂肪、脂があって、手で顔や身体を洗うと良い、手でこすると良いと。特に顔のシワ

などは石けんでは顔の脂肪が石けんによって、抜かれて逆にシワを作ってしまう。このことを思い出して、しばらく

ボディーソープを使わずに手で顔や身体をこすっていたら、身体の痒みは止まってしまった。それ以来ボディーソープは三日に一度使うことになった。もちろん、身体が相当に汚れて、汗をかいた時

は別で、下半身は例外でソープは使ってよろしいということである。