ジプシーの鎮魂曲

最近、さまざまな CD をとなりの大きい街にまだタワーレコードが残っていたので、手に入れて昔のヒット曲を聞いてみた。懐かしい思いで聞いていたところ、ある曲を聴いてその曲がスペインの

ジプシーを思い出させるもので、私は

八十年代に武道教授で何度もスペインを

訪れたのであるが、グラナダと言う町では

当時、洞窟にジプシー達が住んでバーレストランがあって、フラメンコのショーを

やっていて、ショーと言うより自分達の

為に踊っていたのであった。親近感を覚えていろいろ買い物をしたり手相占いをしてもらったりで親交を深めたのであるが、買った貴金属はニセモノであったりして、かなり騙されて、お金を散財させられたので印象を悪くしてジプシーに対して評価をしなくなって、今に至っていたのである。しかしこの一曲を聴いて、

懐かしく何遍も聴いているうちにこの曲がジプシーへの鎮魂の曲のように聞こえてきて、ジプシー達が生きて生活している姿が浮かんできた。すると私の若い頃の姿も浮かんできて、彼らも自分達の

運命を引きずりながらただ一生懸命に

ひたすら生きていただけだったと思えるようになった。もちろん私は違法なことはしたりし無かったけども、彼らにも生きる権利はあると寛容に思えるようになった。この曲はジプシー自身がギターで弾いている曲で日本の時代劇の主題曲にも使われたもので、聴いた人も多数いるに違いない。私の肌に火のついた線香を押し付けた私の母を許せるようになった

私は今まで関わった者達の負の関係をも

修復して私の負の感情を正のエネルギーに変換したいと願うようになってきた。

この行為は私の波動を高めて私の人生をさらなる高みへと引き上げるものと思い、今までの負の関係を見直している。

  ちなみに、ジプシーの洞窟は、三十五年経った今は博物館になってしまい、ジプシーはもう住んでいない。昔日の感がある。特殊な文化は時代と共に消えていく。

広告を非表示にする

過去 現在 未来

我々は、当たり前のことだが、現在を生きている。それなのに、

過去に起こった出来事にこだわって、過去に執着して生きている者がいる。過去に生きる者には現在も未来もない。

早く過去と訣別して今、現在に戻るべきである。

もちろん、過去の歴史となったあるモノからは習うべきモノはあるかも知れないが、過去の負の出来事はスッキリと忘れて、それにこだわって、執着するべきでは無い。過去の出来事にこだわり、執着する者はその負の出来事のマイナスのエネルギーに毒されて、その負のエネルギーを自分の心の中に抱え込むだけである。

結果は見えている。決して幸せにはならない。負のエネルギーが自分の

エネルギーに変わってしまうからだ。自分の人生は現在と未来にだけ

影響を与える。早く体外に負のエネルギーを排出して、捨て去るべきである。早く心の外にその負のエネルギーを追い出して、現在に戻り、未来に目を向けるべきだ。人生には現在と未来しかない。今現在を精一杯生きて、

未来の自分を作り上げるしか道はない。

今、自分に不満のある者は現在と未来の自分を良く良く考えて

仮にも過去の負の出来事を思い出してはならない。未来に向けて歩き始めるのだ。

広告を非表示にする

価値観

日本人は不思議で特殊な民族である。

その昔、茶碗一個で日本の一国が買えたり中国や朝鮮の書を手に入れようと血まなこになっていた時代があった。

現代ではどうであろう?毎日 ニュースを賑わすのが政治家のカネとオンナの不祥事とオレオレ詐欺である。あの神田

真澄こと姜吉隆はカネを手に入れて、

ドイツの高級車にモデルのようなオンナをとなりに乗せて、中味の無い氣功武術をマスコミにひけらかせて良い気に

なっていた。ペラペラのトイレットペーパーのように薄っぺらい人間だ。そんなことは

長続きしない、吹けば飛ぶよなモノに

価値を置いて生きている。今は四十半ば過ぎて、シェアハウスに住んでいるらしい。たぶん信頼する友人もいるとは

思えない、友人だった者は皆去ってしまう。鼻くそのような、私が三十年ほど前に教えた勁空勁の技を後生大事に

秘伝秘技と勿体ぶって、チラッとホームページに掲載してはいたが、私に見られてはマズイと思い、今は許可を取らないと見ることは出来ない。中世期の日本人の価値観を現代に持てと言う方が無理ではあるが、当時の日本人の爪の垢でも煎じて飲ましてやりたい。明日には氷のように溶けて

しまうモノに絶対の価値を置いて

人間性を放り出して、嘘までついて、

カネをくすねてモデルのオンナを探す。

悪徳政治家と何ら変わらない。

悪徳武術家、悪徳瞑想家と言おうか?

カネを使い果たして尾羽を打ち枯らしている。価値観を見いだすモノを間違えた。私はドイツのクルマを自転車に変えて、妻を亡くして独り身になって、ボロアパートに住んではいるが、毎日が

楽しくて嬉しくて氣功教授に命を掛けて、

幸せいっぱいだ。価値観を氣功の極意の技や良い人間関係とか瞑想の質の高さに

置いているから氷のようにスグ溶けてしまうモノに興味はない。来年のタヒチ

友人の父親のお墓参りの準備に余念がない。氣功の講習会も行なう予定だ。

来月の十月には兄弟子の史先生が来日する。楽しく嬉しいことばかりである。

カネやモノでは無い。心の満足に重きを置けば、こんなにも楽しいことが待っている。人生を歩むに価値観を何に見いだすかでこんなにも人生が違ってくる。

あなたの価値観は何なのであろうか?

 

広告を非表示にする

番付け

最近、相撲が面白く、流行している。

私も相撲が大好きで毎日観ている。

相撲の番付けは分かり易いので、あの尤氏意拳のアホ宗家創始総師範の神田真澄こと姜吉隆の実力を相撲の番付けで表わすとどのレベルかすぐ分かるので、師匠で親方であった私が番付けを付けてみたい。私が通氣を頂いて、世界各地を武者修行して一番簡単に早く即席勁空勁が出来る方法を教えて、それ以来、あまりに

ひどい人間性と嘘の為、破門にして以来、自分一人で頂点に一応君臨しているので、その実力は何ら進展をしていない。上達はしていない。訓練を自らに課すオトコでも無く、見てくれと

カッコつけの底の浅いオトコなので、相撲の番付けにすれば、十両にも達してはいない。せいぜい序二段が関の山である。一方、私の道場生で指導員を任せている者達は三役のレベルにあって、この一年で、大関のチカラをつけている者達もいる。

序二段のレベルでは、相撲界では相撲部屋は持てない。自分に高下駄履いて大きく大きく見せようと、

カッコつけて半分裸の女の写真を掲載して浅はかな生徒を呼び込んでいる。身体だけは大きいが、脳味噌は小さいようだ。幼稚園児が博士課程の学力を装っているようなものである。

分かってないのは本人だけである。まるでドンキホーテだ。尤氏長寿養生功

氣功ではあるが、その中身は完全な武術である。しかも世界に通用する内容で

習得することは難しく、長年の訓練を

要する。練習は過酷なもので、美容体操に訪れる女子に教えるようなモノでは無い。

自分では武術的には教えられないので、

勝手に内容を日本拳法と美容体操に変えれば、生徒は集まると軽く踏んで、そうしたのであろうが、全くあいつらしい。

辛いことはしたく無い。一緒に歩くモデルのようなオンナが欲しい。カネは毎月楽に手に入れたい。氣功を精神修養ではなく、ビジネスとして、氣功武術を

美容体操に変えてしまった。師母から

氣功の一切を習ってないから、こんなアホウなことができるのである。筋肉痛が消えない位、投げ飛ばされてない、ジャンプもしていないからこんないい加減なことができるのである。ケガをしない力士など何処にもいない。せいぜい自分のバカさ加減を世の中に晒すことである。

死ぬまで人にバカにされることである。

バカは死ななきゃ分からない。

 

広告を非表示にする

ロケットマンの最期

北朝鮮の太った豚のロケットマンの最期は近い。これだけ世界の国々をあざ笑うように挑戦的な態度を取り核実験とミサイル打ち上げを繰り返して日本の国を殲滅するといきがっている。もう一人の日本武術会のロケットマン神田真澄こと姜吉隆の最期も本人の意識よりはずっと早く近いことになる。姜吉隆は己れは玄米菜食

有機栽培の食べ物を食べているから、

突き蹴りの訓練をしているから、

己れだけは長生きすると確信しているであろうが、

食べ物と運動だけでは長生きする十分な保障にはならない。利己的なあくどい心で大勢の人を利用し、自分だけの保身を計画実行したその報いは未だである。

責任の決算は未だ終わってない。大体にして、くすねた供出金と借金の返済が

完了していない。朝鮮人ロケットマンは絶対絶命、北朝鮮の滅亡も近い。自国民を餓死させて、国を滅亡させる愚か者と自分の野心野望も果たせず、尤氏意拳の団体の最期も同じ運命だ。北朝鮮ロケットマンは人工的に消去されるが、もう一人の朝鮮人ロケットマン

姜吉隆は人のチカラではなく、神からの

神罰を持って、それ相応の罪を償うことになるだろう。北朝鮮の豚があざ笑うように、鼻であざ笑うだろうが、日本に住む朝鮮人ロケットマンは、

天網恢恢疎にして漏らさず、必ず、神

からの神罰は下る。両ロケットマン

クビを洗って、その日を楽しみにして

待つべきである。もうすぐだ。

中秋の満月

今年の中秋の名月は十月四日という。

アメリカにいた時は、私は満月の夜に

月の光を浴びながら、一晩中瞑想をした。

満月の時の月の光にはエネルギーがある。目を閉じて月の光を浴びると月の光が昼間の太陽よりは弱いが、チリチリと肌を刺激する。クレンジングのエネルギーを感じる。心身が綺麗になっていくのを感じながらいつの間にか朝になって

月は空にない。日本では月を見ることはむずかしくなっているがアメリカでは

ビックリするほどの大きな月が出て

毎月楽しみにして、満月は私の瞑想に刺激を与えてくれて

いたのであった。

広告を非表示にする

野心と野望

人間の欲は果てしない。

以前出会った時には虫も殺さぬようなフリをして、私の言う事なす事をジッと

観察して私の金で飲み食い出来るのを

奇貨として先生、先生と私を呼んで、

金魚のウンコよろしく私の回りにへばりついて、尤氏長寿養生功を無料で習い、

東京大塚の道場を開けて私の収入の全てを懐に入れて私がアメリカにいる間に

私に成りすまして道場を乗っ取って

しまう計画を立ててはいたが、おのれの贅沢とモデル上がりのオンナが好きで、

道場経営が立ちいかなくなると道場生に嘘をつき、道場への寄付と言う名目でカネを供出させて、私の名を使って資産家の年配女子道場生から返済意思のない大借金をして、返済せずにウヤムヤにして逃げて、私が使途不明の寄付金とこの借金の返済を迫るや鳥取に逃げて返済の時効を待つ神田真澄こと姜吉隆こと姜吉隆は、果てしもない野心を持って、自分の身には合わないとてつもない野望を遂げようとしたが、師母と私の

妻が相次いで亡くなり,私は日本に帰国したのであった。

浅はかで恥のない人間はこの尤氏長寿養生功を目の当たりにして、これは儲かると思い、その道統を乱して勝手に自分が受け継いだような印象を世間に思わせて一派を立てる破廉恥な  輩は少なくない。姜吉隆は師母から一切習ったことは無い。たった二回の面接を数年間の

過酷な修行と言ってすり替えて、嘘をついて、尤氏意拳を立ち上げている。そして

私から一ヶ月ほど教わった技を勁空勁を師母から受け継いだ秘伝秘技として、

私から見れば鼻くそのような技を奥義と言って、神の武術尤氏意拳と言っている。私からすればキチガイ、バカの所業としか思えない。幼稚園児が少しのチカラを何百倍にも膨らましてカッコつけて

いきがっているだけにしか見えない。

それこそ鼻くそのようなおのれの人格を晒して関わった者達から総スカンを食って親戚にもあまりな人格のヒドさと、嘘

つきと言われて勘当同然の扱いで、いとこからも見放されている。もうこうなったら、最後の最後まで、嘘を突き通すしかない。今更汗水垂らして真面目に働くのは面倒だ。嘘の武術でも宗家創始総師範と呼ばれたい。楽に生活費を稼ぎたい。世間に認めてもらいたい。騙し易い自分のダチやちょろい日本人で、自分を先生と持ち上げる者達でだけでも良い。嘘の神通力が使える者達だけでもセンセ、センセと呼んでもらえればそれで良い。

いい気になっている。

なんと哀れなオトコであろうか?

なんという武術家であろうか?

なんという人生であろうか?

身の丈に合わない野心と野望を遂げようとしたオトコは、バカで浅はかなオトコは、おのれの計画の当てが外れて、

顔は歪み人生も歪んで、神からの神罰

待つだけの身となっている。哀れな最期を待つだけの身である。誰も助けられない。自分一人で自分の犯した罪を贖うしかない。今まで誠実に自分の置かれた状況に対処していれば、こんなところまで追い込まれることは無かったろう。自分の欲を制しきれなかったおのれの責任である。蒔いたタネは自分が刈り取らねばならない。私はこのオトコが私をジッと見ていたように、同じく、この破廉恥なオトコの最期をジッと見届けるつもりでいる。可哀想とも思わない。野心野望の心を持ってこの類いまれな尤氏長寿養生功に近づく者達の最期を見届けるのだ。

因果応報である。

広告を非表示にする