幸せの方程式

今現在、私は毎日が楽しくて嬉しい幸せな日々を過ごしている。私には幸せの法則、方程式がある。それを教えよう。尤氏長寿養生功をスタートした時に直観的に気づいたのであった。尤氏長寿養生功を初めて訓練して得た感覚は、これを以前、ずっと前にやったことがある、という懐かしい思いだった。いっぺんに好きになって、その時に気づいたことが、好きなことを何が何でもやるべきで、嫌いなことはしない、という極めてシンプルな哲学であった。人生を難しく考えることは愚かなことである。本来なら簡単なことだったのだ。好きなことをして嫌いなことはしない、ただそれだけのことである。好きなことはいつまでもできる。そして飽きることが無ければ上達して、それを職業にもできる。嫌いな人とは一緒にいる必要はない。好きな人と一緒に居て、好きなことを職業にする。つまりは好きなことをして、嫌いなことはしない。極めてシンプルなことだった。嫌いなことをして、好きなことをしていないとストレスがかかり不幸せな人生になるだろう。好きか嫌いか自分の感覚に問うことである。したいかしたくないか自分に問うことである。尤氏長寿養生功を始めた時から、そのように生きている。好きなことをしてそれを職業にしているからストレスも無い。だから、私は毎日幸せで嬉しい楽しい日々を送っているのだ。この哲学は日本でも、タヒチに於いても、何処に行っても変わり無く持ち続けるから、私は不幸せにはならないだろう。日本人に幸せな人があまりいないのは、好きなことをせずに嫌いなことをしているからではないだろうか?例え、お金が充分には無くとも、嫌いなことをせずに好きなことをしているとあまり苦にはならないものである。今でもそうだが、尤氏訓練中は貧乏は気になっていなかった。むしろ私の人生に満足していたのである。好きな土地のタヒチに行って、好きな氣功を教えて、好きな自分が編み出した氣功整体で生活できるならば、私の人生は、もっと嬉しくて楽しい幸せなものになると信じてやまない。何かを成し遂げようとするならば、その何かを心から好きになってとことんするしかない。好きか嫌いか?するかしないか?の四つの組み合わせのうちどれを選ぶことで幸せになれるかが決まる。

令和二年最初の講習会

一月講習会が今日開催された。勁空勁の成功率はまた、百パーセントであった。参加者全員が私の勁空勁で投げ飛ばされたのである。参加者の一人は肩の腱断裂で手術後に腕を挙げることが出来ない。そこで太田式氣功整体の施術をしたところ、腕は急に高く挙げられるようになって即治した。手術後の回復を早める効果がある。その参加者は、すごく驚いていた。もちろん今日が私にとって初対面者の参加者である。この尤氏の氣は武術的にも医術的にも使えるもので、武術武道に関わる者、痛みや病いに悩む患者の両方の分野で効果があるのが、このことで理解できるであろう。以前に比べれば、私には信じられないほどに成功率が上がり100パーセントにもなっている。機能性疾患に特効的に効果がある。私には、勁空勁が誰にでもできるということは誰であれ、痛み病いを治療できるということである、と理解できるようになった。すなわち、武医同源である。太田式氣功整体は簡単な運動によって痛みや病いを治療できる治療法である、とても特殊な即治してしまうものとなったことを誇りに思いたい。2020年の冬には移住前に一度タヒチで治療する予定となっている。どんな患者が来て、どんな効果があるか大変楽しみでならない。

専門バカ

三十年ものあいだ、社会と隔絶した生活を送って氣の世界に浸って生きて来た私は専門バカで、毎日見る顔は師母と私の患者と道場生しかない。日本に帰国してからも手術後のリハビリと道場生の付き合いしかない。氣の世界以外、何も知らない。ただ師母の教えだけに注意が向いて他のことはどうでも良い。だから、世間では、私が奇人変人に見えるだろう。これではいけない、と思い遅まきながら、他の分野も勉強している最中ではあるが、間に合わない。私の歳を考えると遅すぎたのであろうか?言い訳になってしまうが、師母の教え方は、道場生同士互いに競争させて上達させるやり方で人間の限界に挑んだせいで私の膝は限界を越えて壊れてしまった。その競争に打ち勝って、今の私がある。それが間違いであったとは思わないが、あまり器用ではない私の性格では尤氏長寿養生功に特化した三十年を過ごして来たのであった。オールラウンドには氣を配れなかった。しかしそれでは社会で生きては行けないので、バカにならぬようにこれからの人生を生きようと大いに反省している。

旦那の浮気

私のアメリカのオフィスにある日、眼のつり上がった老年の女性が来院して食欲不振を訴えて治療依頼があった。治療を開始したが、一向に良くならないのである。言葉にはきついものがあったので、世間話をしたところ、旦那の浮気があってそれが気になって食欲不振で不眠症になったと言う。そして、「先生も男でしょ、」と私に矛先を向けて来た。困った患者が来てしまった、と思った私は、すかさず、旦那の浮気を治療することは出来ません、精神科医と結婚相談所に行くべきと思います、と言ってその後の治療を断った。歳をとっても、男女の仲には治療師が入り込む余地はない。思い出す度に苦笑いをする、人生に良く起こる問題で、旦那の浮気を止める治療は存在しない。誰か旦那の浮気を止める特効薬治療法を見つけたら、ぜひ連絡してもらいたい。

お先に失礼天国へ、タヒチの微笑み

私が22歳の時に渡米してから四十五年間もアメリカに在住して世界中から集まった外国人を見て来た私は日本人を外側から見るようになって、長所、短所を敏感に感じることとなった。日本人は謹厳実直で、真面目な性格のせいか、重箱の隅をつっ突くような性格があり微笑みが少ない。南国タヒチに行けばすぐ分かるが、タヒチアンは初対面の誰にも微笑みを浮かべる。日焼けした黒い大男のタヒチアンの顔は怖いのだが、微笑むと可愛く見えるのが不思議である。日本人のように四角四面の実直ではないかも知れないが、この微笑みがあるから実直謹厳で無いことは帳消しになる。日本に帰国して実直謹厳ではない、ゴミの分別やカネの管理にはルーズな私を批判する日本を出てタヒチに行く私の性格にはタヒチに合っているようで、タヒチは名実共に天国である。日本でも有名な天国に一番近い島のニューカレドニアタヒチの一部であってタヒチにはニューカレドニアから来ているタヒチアンがたくさん住んでいる。どちらもフランスの領土である。私はあの世に行く前にこの世でお先に天国へ行くことになる。今まで私を裏切った者たちには真の微笑みは無かった。微笑みの裏に我欲の心とナイフを持って私を刺す機会を窺っていた。彼らは天国に行くのであろうか?または地獄へ行くのであろうか?この世で天国に住んでいる心を持たねば天国には行けないと言われている。裏切りの心は地獄の心である。

空海の通った道

私は空海と私を同等にして比較するなどという大それた考えは、もちろん無いが、尤氏長寿養生功密教の瞑想をしている限りは、仏教の修行と同じことをしているので、その瞑想中に感覚的に起こる出来事は空海が経験したことも我々は経験しているはずである。チベット密教の修行の中でも一番古い流派の瞑想法を取り入れていると聞いているからきっと空海もこの流派の瞑想をしていたに違いない。それで、私がどうりでさまざまな神秘体験をしていたのである。チベット密教の修行僧は、今風に言えば、超能力と言われることをこともなげにするのだと言う。それでも彼らは自慢することも無いし、人に見せることもしない。修行の途中に起こることであって、そのチカラを得ることが目的ではないからだ。あくまでも仏教の悟りの境地を得ることが目的である。他には執着するものが無い。ドクター尤老師の目的は健康長寿であった。最初に意拳を習得したので、空勁に興味を覚えて站椿功が瞑想であったから、瞑想の極地を研究したら密教の瞑想法に到達しただけの話なので悟りの境地を開こうと思った訳ではないだろう。しかし、ドクター尤老師も師母も私と同じように神秘体験をして空海の体験と同じ感覚を得たはずである。サンフランシスコの道場には、近隣の禅センターの坊さんたちが大勢訪れてドクター尤に瞑想のことを盛んに聞いてドクター尤老師が質問に答えて問答をしていた、と言うことを私は師母から何遍も聞いたことがある。千年前に空海が唐から持ち帰って来た瞑想が現代において太田氣功道場で学べることはほとんど奇跡的なことではないだろうか?私が尤氏長寿養生功をサンフランシスコで学んだことも奇跡だが、私の通氣も奇跡、空海が学んだ瞑想と同じものであったのも奇跡、私が日本で教授しているのも、これからタヒチを通過してフランス経由でヨーロッパに尤氏が行くのも奇跡、尤氏の氣によって国指定の難病を治していることも奇跡、私には全てが奇跡に思われる。そう言えば勁空勁も奇跡的である。しかも勁空勁はただの通過点で、目的は健康長寿であって患者の治療でもある。

分相応

自分の不充分な実力と能力で自分に見合わぬモノを追いかけて、カネと売名、自己顕示欲に執着して自分の道場を開いた者たちは、自分の身に不相応な部分を隠す為にはウソと虚偽で自分のボロを隠すしか方法は無かった。人生を自分の身に不相応なモノを引きずりながら生きることはどれほど辛いものであろうか?自分が精進努力して、これだけは誰にも負けないというところまで築き上げた自分は分相応であると、自信があるだろうが、精進努力が不充分であれば、分不相応でその穴を埋めるにはウソと虚偽が必要となる。自分で自分を総師範、総大将と呼ぶしかない。私は日本の国が認める、立派な身体障害者であるが、片手片脚で、初対面の講習会参加者を勁空勁で投げ飛ばして、国指定の難病を氣のチカラで改善する治療をしている。私にはウソと虚偽で私を飾る必要がない。自分で自分を師範と呼んだことも無い。私は私が師母と一対一の猛訓練を三十年毎日したことが事実であるから、私には能力は無かったが、誰もが認める事実であるので、私には尤氏長寿養生功を教えることは分相応で、私には資格と正統性があることを否定する者がいない。このことは私の誇りであり、何処へ行こうが、私の生きる人生には自信を持っている。ニセモノたちは分不相応な自分たちの人生に満足しているのだろうか?自分に実力あって、自分ができることで生きていける人生にはウソと虚偽は必要が無い。