愛と幸せの日々

私は今まで述べて来たようにさまざまな辛苦の末、私のトラウマも解決して

ついに日本に帰国した。大好きな日本に帰れたけども、私の妻は遺骨で帰った。

残念で残念でしょうがない。自由になった心が感じるものは、日本のものは

全て心地良いらしい。毎日送る日々は

愛と幸せを感じるものである。何を見ても何をしても楽しい。練習の時の笑いは

本当に心から笑ってしまう。日常の生活もいつも微笑んでいる。顔が勝手に緩んでしまって、他人が見たら変に思われるので、ハッと我に返って、顔を引き締める。いつも笑った時のことを考えている。心の殻を取り除くとこうなるのかと

感心している。PTSDが消えるとこうなるのである。心のガード、殻、皮を一枚ずつめくると愛と幸せのエネルギーが

出てくるようだ。亡き妻の生きたかったぶんまで長生きして与えられた人生を最後の最後までエンジョイしたい。

私は私の人生を生きた証を得たい。

尤氏養生功を教える太田氣功道場を出来るところまでその名を日本全国に広めたい。

もっと幸せになりたい。私の気にいるものを私の側に置き、私の道場の指導員、道場生と

私の死の瞬間まで一緒にいたい。

広告を非表示にする

市民権

アメリカに住みたい人間は多い。

しかし外国人にとって、住むには永住権が要る。永住権を求めて世界各国から人は殺到する。私が渡米した頃は永住権は比較的簡単に取れた。人口を増やす為に国々の移民の枠が決められて技術者や特殊技能を持つ者を優先的に選んでいた。

武術を教えるといっても、日本の武道団体が永住権を用意してくれる訳はない。

以前教えていた先生が辞めて、私に白羽の矢が立った。なんの準備もない。

相当の年月が流れて弁護士と私だけで永住権申請の準備して、ついに永住権は降りた。申請に関して余りの法律の煩雑さに道場生の皆が諦めて、私自身でするしかなかった。他に後輩の永住権も取ってあげた私は移民と永住権申請に関してはエキスパートと今は自負している。

二度目の結婚では妻に永住権の取得は法律改正で難しくなって、私は市民権を取得してアメリカ国籍となった。妻も永住権を取り、アメリカに妻も合法的に住むことになって喜んだ。日本帰国の際は

私の戸籍は残っていないものと思っていた。てっきりアメリカ国籍だけと思っていたが、二重国籍だった。よく調べたら、実家に戸籍が残っていた。二重国籍は違法となっている。危なく入管に捕まるところだった。おかげで身体障害者手帳も手に入れた。

広告を非表示にする

奴隷

アメリカにはいまだに、奴隷のように働かされる者がいる。永住権を持たない者は足下を見られて時給百円位で雇われて、肉体労働を強いられる。

私も経験がある。日本人が日本人を奴隷のように扱う。雇う日本人は英語もろくに出来ない。カネを勘定することは

大学教授並みだ。現金は持っている。

道教授で永住権申請している間は合法的に働けない。そこで肉体労働となる。

まだ若く将来に夢を描くからまだ我慢出来る。肉体を鍛える武術の訓練と思い耐えた。永住権取得後はすぐ日雇いのような仕事を辞めて日本法人の会社に勤めた。プライドが戻る。朝早く玄関のドアを叩く者がいる。なんと元雇い主の

日本人である。人手が足りないから

手伝って欲しいと言う。仕事があるので

断った。私が永住権など取れることはないとタカをくくっていたらしい。永住権を取ったと言えば、目を丸くしている。

こんな同胞日本人を奴隷のように扱う人間は

私が帰国前に事故で死んでしまったとの報告を受け取った。妻子あるこの男は白人女性と浮気の末に、湖で岩に頭をぶつけて死んだ。因果応報である。

教訓として反面教師として、私は

人を奴隷のように扱うことは絶対にしないと心に誓った。どの国にもこんな不条理な例はあるだろう。負けてはいけない。人間の心は

奴隷ではない。心は高貴で、その振る舞いも高貴な者もいる。永住権を持たない者の状況を利用して犬か馬か何かを扱うような者は税務署から現金商売で摘発された時に滞納した税金まで現金で払った事実を私は知っている。笑い話だ。呆れる人間ではある。

広告を非表示にする

食の秘密

私が習った井上先生の食制の食べ方の基本は玄米菜食で、最も重要なことは、次の日の排泄を考えて食物を食べるということである。日本ではバブル以来、美味しいエスニック料理などが流行って、

食べる種類が増えて、足し算するだけの食べ方になったが、引き算も必要だ。

玄米は白米よりも食物繊維が豊富で

胚芽がついているので栄養価も高い。

唯一ビタミンCが無いので菜食で補う。

私は以前体重が九十五キロあって、身長は百七十センチしかないのでオーバー

ウエイトと思い、減量した。昔の相撲取りの舞の海と同じ体格であった。この時に

井上式食制を実行した。和菜を中心に玄米を毎食食べる。排便の量が多くなって

少しづつ体重は減り、身体が軽くなると

氣がもっと出てくる。氣をもっと強くしたいのでストイックに玄米菜食を進めた。

三年ほどで10キロほど体重は減り、

体型は変わった。十年続けて六十二キロになって以前の服は全て捨てることになった。体調は更に良くなって、体重が少々増えても、玄米菜食という強い味方がいるので外食は普通に何でも食べた。この井上先生の食制をまるで秘密の門外不出の

ように勿体ぶってカネを取る者がいて、自分で研究して作り上げたように振る舞う輩も出て来るこの頃であるが、大したことは言っていない。とにかく、排泄を考えてたべることである。腸に便を溜めない。外食の場合も最初に野菜を食べることである。それだけで大分違う。

広告を非表示にする

競争の修行

重い話が続いたので、師母の道場でのエピソードを少し紹介する。

修行が始まって、ジャンプがスタートした時に師母は何も説明しない。ただ

基礎訓練をしてあとはジャンプである。我々はジャンプするが、誰がジャンプしても「不好」である。そして強く重いジャンプには「 good  」「 strong  」と言ってニコニコする。みんなが週一回のところを私は週七日通って、しかも一日に二回道場に通っていた。一回の練習時間は三時間半で一日七時間の訓練となる。脚は当然強く

なる。先輩と師母のやりとりをジッと見ていた私のジャンプは始めてすぐ、強く重かった。師母は私のジャンプを気にいった。と言っても、ただ褒めはしない。

どれだけの時間長くジャンプ出来るか、どれだけ負荷をかけているかをチェックする。

週一通えば月四回、週七通えば月二十八回、しかも一日二回行けば、月五十六回となる。他の道場生と比べれば、十四倍の

練習量となる。私のジャンプは私が注意して地球の重力に沿って身体がまっすぐになるように鉛筆をまっすぐに落とすように身体の重心を床に向けてチカラを抜いて全体重を乗っけて

行っていたので、他の道場生よりしなやかでずっと強く重くなる。音の響きを聴いていて、

自分でも分かる。師母はそんな私たちに競争を強いた。何遍私にみんなを競争させたかわからない。しかし、何遍やっても私にはかなわない。一人、私よりも一回り身体の大きい白人アメリカンを師母が投げていたところが、何遍やってもこの白人は理解しない。師母は呆れ果てて、お前の頭は木頭(ムートウ)だと言った。日本語では石頭と言うが、中国語では木頭と言うらしい。頭が堅い。チカラを抜くべき時に抜かないでチカラを入れる。息を吐く時に息を吐かない。私は十四倍の練習量で身体は練習に慣れて、いつの間にかリラックスすることを覚えてチカラを入れる時とリラックスする時のタイミングを覚え、師母の言うことと何を言おうとしているのか、すでに理解していた。ようやく先輩である彼らを抜いて師母が技を見せる時は私は前に出されて、私が真っ先に投げられるのであった。いつも私が他の道場生よりも多くの

強い氣を受けるのであった時に私ばかりが道場に到着後何十分もジャンプして他の道場生はただ見るしかなかった。いつの間にか私は道場を代表する道場生になって、中国から誰か師母の友人が来ると自慢げにこんな弟子がいるのだと私を投げるのであった。蜂の八の字ダンスをご所望である。激しい強く重いジャンプの音に驚いていた。コンクリートの上にカーペットが敷かれていたが、コンクリートは私とみんなのジャンプで割れていた。二十年の修行だった。

この時までにはこの氣功の特徴は瞑想で静寂の精神と、ジャンプで強固で強く太く大きい筋肉を持つ脚を作ることであると理解していた。私の脚の筋肉は競輪の選手のように、男子バレーのダンサーのように、ジーンズを履くと太ももは大きく盛り上がり、歩く時には太ももの内側の筋肉は擦れて痛くなるのであった。

 

 

広告を非表示にする

支配

誰もが急性慢性軽重を問わずに PTSD、 Post Traumatic Stress Disorder  を

持っている。重症の場合は自傷、自殺

にまで行き着く場合もある。私自身も P TSD があった。瞑想と運動によって克服した。我々の心は我々のもので誰にも支配されたくはない。我々の自由でありたい。誰かに支配されると心はもがき苦しむ。 PTSD となる。原因はさまざまだ。だいたい幼少期の親や先生権威権力を有する者達からの抑圧である。自分の

人生を生きていない。本当は自分の人生を生きたいが、自分の心が支配されているので自分の人生が生きられない。これは苦痛である。アメリカには PTSD の人間が多い。新天地を求めて抑圧から逃れて自国を脱出する。私も例外ではなかった。アメリカでは抑圧からの脱却の手段として共通の、お金に執着心を持ちカネ儲けに集中する。目標を達成して自分の自尊心、 self esteem  を取り戻したいが為である。私には自尊心を保つ目的と手段の武術があったのでカネに執着心を持つことはなかった。ある者はアメリカンドリームを達成する。アメリカンドリームの原点は支配による PTSD であった。日本においても同じことがあった。海外からの労働者特に3K  と呼ばれる仕事についていたペルーの日系人が何人も殺人をした事件は記憶に新しい。重症のPTSDである。医者へ行くお金も時間もなかった、治療を受けられない者は、重症の場合殺人まで犯してしまう。私には他人事ではない。

私のアメリカの中医師の免許は返納したが、医師の心は返納していない。なんとかしてあげたい。助けてあげたい。私は重症のPTSDの患者の治療経験がある。

話をジックリ聞くことと私の氣の治療で鍼で全体的に体調を整え、氣をエキストラに注入することで治療は成功した。二件の治療例であったが、

どちらも性被害の女性であった。言語に絶する被害を受けていたのであった。

胸が張り裂けそうになりながらも、必死に耐えて、治療は成功した。過去の嫌な

出来事に支配されることは耐えられない

ことである。歴史的に見ても、支配されていた国では独立を遂げるには、支配していた国と戦争して独立を勝ち取ったように、個人を支配する者の呪縛からの解放を、戦って、勝ち取らねばならない。

尤氏長寿養生功の瞑想とジャンプの運動はトラウマを癒して消去完治するチカラがある。

広告を非表示にする

玉ねぎの皮と心の殻

玉ねぎの皮を剥いていくと、最後には何も残らないが、人の心の閉ざされた殻と皮を剥いていくと、最後に残るものは、

愛と幸せであると私は体験して気づいた。尤氏長寿養生功の訓練を通して、

この氣功の瞑想を通して、一万四千四百四十時間の瞑想と三百六十万回のジャンプで心身を鍛えた結果、上虚下実の身体が出来上がり、邪氣に溢れた想念は足の裏に流れて去っていった。脚は強く重く、逆に上半身はスッキリと軽く、脳に作られた傷は癒えて幸せを感じるようになって、人を愛することができる自分がいた。自然にそうなった。心の殻と皮が取り除かれて、愛のエネルギーが顔を出すことになった。日本に戻って、何をしても、どこにいても顔には笑みが浮かんで、嬉しい楽しいの毎日である。殻は

緊張と怒りでギンギンにさらに固くなったものを外すことはなかなか難しい。

瞑想によってリラックスするとだんだんと緊張は解けて心の殻は柔らかくなって、核の部分が現れて来る。ジャンプは身体を堅固にする。自分でもこれだけ

強くなれると自覚することはself esteem, 自尊心を取り戻して自信に溢れた自分がいつの間にか存在していることになる。誰でもが最後に自覚するのが

愛であって、幸せになりたいのであった。愛と幸せのエネルギーは最良最高究極のエネルギーである。最上の波動だ。

皮を剥くなら玉ねぎで無く、心の殻、皮を剥いてもらいたい。