2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

脊髄小脳変性症

難病の脊髄小脳変性症の患者が今日の講習会に参加していた。今日が先回の講習会につぎ、二回目である。驚いた。先回より明らかに歩き方が改善して、基礎訓練をやろうとする意欲が湧いているのだ。そして立禅や座禅もこなしている。最後はジャンプである。車…

六月講習会

今日、六月講習会が開催されて、熊本からの参加者もあり、近隣の町からの参加者もいて初対面でありながら、勁空勁の成功率は百パーセントであった。いつものこととはいえ、参加者は素直に驚いていた。氣功学校の教師を目指して遠方より基礎訓練を習得する為…

晩年、人資集まり来たり、

私の名前の総画は二十四画で、晩年人資集まり来たりて願い、想い叶う、とある。易者の言うようなことでまるっきり信用もしていなかったのであるが、この歳になって、全国から人が集まり、私の心を和やかに軽くしてくれて、これから進む道にチカラを与えてく…

ドクター尤老師

ドクター尤老師の中国名は尤膨熙 ユーポンシーと言って、中国大陸は無錫市で生まれた。氣功学校に入学して来た学生が中国通で資料と写真を提供してもらって判明したことがあるので、共有したいと思う。ドクター尤老師の中国在住中の情報はあまり無いのだ。19…

夢の共有

人生の目的として、誰もが自分の夢の実現の為に生きてはいないだろうか?その夢が大きければ大きいほど、自分一人のチカラだけでは実現出来ない。実現するには、集まる人のチカラを借りて結集させて、大きいチカラにして夢の実現を目指して行動するしか方法…

師母の機関銃

機関銃と言っても、戦争で使われる機関銃の話ではない。尾籠なことで申し訳ないが、師母のオナラの話である。私が最初に尤氏長寿養生功の道場に通っていた時から、師母はオナラの達人である。その音は大きくはないが、たて続けにパパパパパ、と機関銃のよう…

ヒビの入ったコップ

こんなことを聞いた者はたくさんいるであろう。普通のコップは薄いガラスでできているから割れやすい。でもヒビの入ったコップは気をつけて取り扱うので、割れにくく、ずっと長持ちする。ヒビの入ってないコップをそまつに扱う訳ではないだろうが、それはと…

百寿

日本人で百歳まで生きている人は 七万人に達すると言われている。百年生きることは簡単ではない。私は百歳まで生きた人を尊敬している。生まれて、誰もが良い家庭環境に育った訳ではなかっただろう。そんな中で受験競争に生き残り、なるべく良い教育を受けて…

不安な時代

日本に移り住んで四年、来年で五年になろうとしている。最近の日本全体に漂う雰囲気は決して明るいものではない。収入は増えず、家も買えない、震災や火山の噴火がいつ来るやも知れない。こんな時代には何をするべきであるか?人はさまざまだろうが、人によ…

語学習得

長生きする条件の一つとして、語学習得は医学的に有効であると証明されている。私のタヒチの友人は日本語を、私はフランス語をそれぞれ習っている。彼の日本語習得は驚くほど早い。もうすでにいろんな簡単な日本語を私に喋りかけている。私はと言えば、イン…

良因良果、悪因悪果

子どもでも分かることだが、いい年をした分別のある大人がこれを分からない。だから、その大人には分別が無い と言える。仏教の教えに因果応報と言うのがある。原因があってその結果が現れる。良い結果になるのは良い原因がある。悪い結果は悪い原因のせいで…

努力はウソをつかない

努力することを嫌がって、ウソをもってその道の権威をデッチ上げる者では何も成し遂げられない。努力した者には努力した分だけ、ぴったりと報われる。当然なことである。ウソをつく努力は努力じゃ無い。真摯に努力する者は人の目には見えなくても、天と神と…

氣功のユニフォーム

剣道には面と籠手、胴などが必要で、柔道には柔道着が必要である。私には高嶺の花であって、練習するにしても手も出なかった。以前、インドネシアに行って講習会を開いた後にオレにあんたの拳法着を置いていってくれ!と言われたことがある。当時、インドネ…

師母の拳

ある日、師母が拳を握りしめて、私に見せつけるようにして、何かを説明しようとしていたが、私は話しの内容については注意がいかずに師母の拳に見とれていた。驚いた、何と、拳のサイズが異常に大きいのだ。私の拳も大きいのであるが、私のよりも大きく見え…

生きるチカラ

どんなに踏んずけられても、どんなに屈辱的な言葉を浴びせられても、我々は生きていかねばならない。そんな時に必要なものは自分の内にある少しばかりの自信と大きな生きようとする生きるチカラである。私がアメリカで単身生きている時にインフルエンザにか…

I'll be back

私がタヒチに住居を構えて移住した後に、必ず私は日本に戻ってくる。日本の太田氣功道場を忘れる訳ではない。そしてこの移住は撤退ではない。これは最大の画期的な前進である。移住後一年ほどでまた講習会に戻ってくる。私の計算では年に二度の講習会を開催…

偏差

偏差とは、氣功を訓練しているあいだに自分の生い立ちや解決出来ていない精神的な問題がいつの間にか心理の表層に浮き上がって自己の私欲や傲慢な心などが態度として誰の目にも明らかに生意気になり、自分のハナクソのチカラを過信して、自分が一番偉いよう…

勁空勁コース

太田氣功道場では、勁空勁コースを特別に設けることにした。勁空勁コースは太田氣功道場に一定の期間通って、私との関係を築き上げて信頼関係のある道場生と気功学校の教師になった者で一定期間分校運営に携わった者に優先的にコースを取ることができる。勁…

人材の発掘

太田氣功道場は地方遠隔地に気功学校の分校を設置して、講習会を開催すると同時にできるだけ多くの参加者との氣の交流を通して尤氏長寿養生功を推進してもらえる人材の発掘に力を入れている。人材とは、すなわち、太田氣功道場の伝統のワザの正統性を信じて…

天命

人生の中で、不思議な縁で何かと関わり、そのことが運命となって、使命を帯びて、どうしてもこの世の存命中に成し遂げねばならないことが出てくることがある。これは天命と言うことができるだろう。私が学んだ尤氏長寿養生功がそれである。縁あって、渡米し…

弟子と生徒

中国の弟子と言うことと日本の弟子と言うことの内容と意味は全く違うものである。日本では武術武道で入門すると弟子と呼ぶようであるが、私が学んだ尤氏長寿養生功の師母は、なかなかに道場生を弟子とは呼ばなかった。だから、私は中国の文化的なものもあっ…

南十字星

来年のタヒチ移住に向けてブログ名を新しく南十字星と変えて、新しい出発としたいと思う次第である。これよりは過去の忌まわしい離叛者たちのことは忘れてタヒチの嬉しく楽しい情報ばかりを書きたいと思う。愚かでネガティヴなエネルギーはこちらのエネルギ…

苦は楽の種

私の今現在の人生は楽なものである。日本の太田気功道場の指導員、道場生が私を助けて、タヒチの道場生が私のビザ取得の為に奔走してくれており、タヒチでは鍼灸オフィス、気功道場のスペースは島の町の中に確保されて、住む家も海を見下ろす丘の上にある素…

経験

人生において、経験こそは金を払ってでも持つべきものである。経験を積めば積むほど、智慧がついて来る。そして突発的なことが起きた時には対処する方法を選択出来る。基本が大事なことはもちろんのことであるが、一旦基本が出来たならば、積極的に応用に転…

未病の予防

東洋医学には上医と下医に分ける考え方があって、今現在の病いのみにとらわれてその病いを治す医者を下医と呼び、今病いになってはいないが、将来において病氣の未病を治療することを患者に告げて予防の為の薬を調合するなどの予防の医学を行なう医者を上医…

日本精神、イープンチェンシン

台湾の人々が、軍人を含めた日本の民間人の取る行動を見て、感心して評価した言葉がこのイープンチェンシン、日本精神である。私はこの言葉に日本人として誇りを感じる。日本人の大和魂を見てこの言葉で評価したらしい。台湾の人は日本贔屓である。タヒチの…

邪魔

何かホンモノを学び、それを何処かで教えようとする時、発展させ拡めようとする時、成そうとする時には、邪魔が入り、なかなか前に進ませてはくれない。邪魔が入るということはホンモノの証である。どうでも良い、ニセモノにはあまり邪魔などが入ることはな…

赤門出身鍼灸師に告ぐ

私は仙台出身であるが、私の覚えている限り、仙台には赤門鍼灸学校があったと記憶している。学生であっても構わないが、八月三十一日山形で開催される講習会に合わせて鍼灸講習会も行ないたい。内容は氣の存在の証明、耳置鍼の説明、氣の治療、など多岐にわ…

波乱万丈

私のこれまでの人生を振り返ると、日本での大学までの一期、と渡米してからの尤氏長寿養生功との出会いまでの二期、に別けることができる。そして三期目のタヒチの生活が来年からスタートする。とすると、人生の三分の一が日本での生活で、三分の二は海外で…

揺るがぬ心、揺るがぬ身体

健全な心に健全な肉体が宿ると言う言葉があるが、私に言わせれば、これは逆で順序としては肉体が先に来なければならない。目で分かり、鍛え易いのは身体であるからだ。、最初から心は鍛えられない。強い体幹、強い肉体、強い脚腰があって、強い揺るがぬ心が…