夢の実現

人生を生きて行く上には夢は不可欠な存在である。幼いころに夢を持ち、その実現の為に勉強して社会人になって夢の変更があり、次の夢実現の為に努力する。実現できなかった夢を忘れ去り、自分の能力が至らぬことに気づき、また新しい夢を持つ。夢また夢の連続である。私はひょんなことから尤氏長寿養生功を知って夢を持った。その夢実現の為に身体にムチ打って最初の夢を実現した。そしてまた次の夢が現われる。夢は拡がり今は世界へ羽ばたこうとしている。歳をとっても、夢を追いかけていれば精神は衰えない。眼はキラキラと常に夢実現の為には何をするべきか、いつも考えている。全て見るもの、聞くものは夢実現の為に見て聞くのである。こうしてアンテナを張っていると、一つの言葉、チラッと見たものがヒントになり、飛躍的発展となることがある。私は常に考えている。そしてどんなものを見ても聞いても、尤氏長寿養生功と氣功整体に絡めて夢実現の為に参考にするのである。一つの言葉で構わない。一つの絵や映像で良い。毎日私のアンテナに引っかかるものはたくさんある。モノや言葉だけではない。ヒトもその中に入る。日本と世界の縁があるヒトとの会話が新鮮で夢の実現の為には一番重要な存在である。

最終アジア構想

今から言うことは、とても政治的、経済的な実現不可能なことであるが、私の立場からはいつかは言わねばならぬ構想でアジアの将来を見据えた世界戦略的なものである。夢物語として聞いてもらいたい。ヨーロッパのスペインに何回も行ってみて、気づいたことがあった。今でこそユーロ経済圏があって、ヨーロッパは一つになっている感があるが、夏にスペインを訪れる他のヨーロッパ各国の人々を見ていたら、とてもじゃないが、一つにまとめられるヨーロッパ人ではない。と言えば、アジア人もそうではないか?と言われるかも知れないが、世界の国々を見て来た私には西洋人が心の片隅にあるアジア人蔑視の傾向があることに気づいたのである。西洋人と対等に渡り合うには経済的に対等な立場になることが手っ取り早い方法だが、もちろんそれだけでは対等にならぬのは知っている。今の中国が世界に進出して大きな発言力を持ち、アメリカと対等以上に渡りあっているのは経済力がついたからであろう。今の日本は逆に経済的に萎んでしまい、バブル期のような勢いが無い。私にはユニークで奇抜な構想がある。経済的にアジア全体が台頭して西洋列国に大きな発言をさせない方法がある。今は実現不可能なことであると思うが、アジアの国々の指導者が頭を付き合わせて真のアジアの未来を考えれば、いつかは可能となるに違いない。それは、ユーロのようなアジア、最初は中国、韓国、日本の三国だけでも通貨を統一することである。アジア元でもウオンでも円でも良い。その経済圏に回りの国々が参加する。例えばインドが加わったら、世界最大の経済圏ができるものである。アメリカとヨーロッパの経済市場を一度に抜いてしまう。これでは、トランプだろうが、なんだろうが、アメリカファーストなど言わせない。中国と韓国が日本を敵視する政策も意味ないことになるだろう。一国だけが一番になる、という考えは間違っている。平和でどの国も繁栄することを目指すならば、戦争も起こらず、核ミサイルも必要なくなる。考えの180度の転換が必要だ。何百年もの白人支配の世界的傾向を変えてしまう方法である。しかし、こんな大それた構想を西洋が許す訳は無い。日本の軍事力でも出来なかったことが、経済的にアジア全体が一つになることで可能となる。あまりに革新的で猛反対があり抵抗勢力も出るだろうが、有能なアジアの指導者が出て来てアジア全体を考える真の指導者ならば、真のアジアの敵は同じアジアの一国で無いのは理解出来るだろう。真の反対勢力が西洋列国である、という共通の認識が必要である。というよりも、人種偏見や有色人種への差別である。私は、言語で対等のチカラを持つことがアジア人が対抗できると思っていたのであるが、知恵や伝統では対等にならず、経済的にチカラを持つことが必要な大きな発言力となる、と気付かされた。今は日本語と英語しか学んでいないが、日本人は、最低限中国語と韓国語、日本語の三ヵ国語は必須だと思っている。そのうち、日本のリーダー、総理大臣が中国語と韓国語を自在に話す者が将来出て来ることになるだろう。そんな時が来たら、中国、韓国、日本は平和に領土問題も無い時代になっているだろうと思う。何をバカな夢を!と言う者がいるかも知れないが、どんな構想であれ、思いついて言い始める者はたった一人の人間である。私の尤氏長寿養生功世界進出、展開も始めた者はたった一人の、私である。私がタヒチ、ヨーロッパに進出後に何人の道場生、何人の氣功整体師兼指導者が出来ているだろうか?タヒチの百の島にはオフィス道場が出来て、ヨーロッパ各国に支部が出来ている。少林寺拳法の世界でもそうであったが、私が指導に行って、インドネシアの政治家の首脳の一人と英語でジックリ話したのは1981年のことであった。当時の少林寺拳法の人口は一万人くらいであったが、今では、日本の拳士数を抜いて百万人となっている、と聞いている。日本の本家よりも大きな団体となっている。優れた指導者がいれば、こんなことは現実に起こる良い例である。日本人同士でいがみ合っていると何も起こらない。小さな既得権益ばかりを主張する器の小さい者がトップになると、いつまで経っても、日本の中だけで井の中の蛙大海を知らず、の格言通りになってしまう。

人生100年時代

今や、日本の政府が日本人の高齢化に伴い我々老人に元気でもっと働いてもらおうと人生100年時代が叫ばれている。ドクター尤老師は、それよりもずっと以前から尤氏長寿養生功を訓練すると健康で長寿になることを予見していた。師母は百歳を超えて生きたのであるが、ドクター尤老師は八十代で亡くなったのであった。私の師兄史先生によれば、アメリカで弟子たちに通氣を与え過ぎた結果、死期を早めた、と言っていた。通氣を与える時には大量の氣を使うのである。師母は通氣を与えた後にはガックリと疲れていたのを思い出す。私の通氣の後に風呂に入ると身体の皮膚から古い垢がぼろぼろ剥けたことがあった。新陳代謝が早くなったと思われる。通氣の後には、不思議なことがたくさん起きる。尤氏長寿養生功から発達派生した太田式氣功整体は政府が奨励する人生100年時代に適合する高齢者が携われる仕事で、ビジネスとして起業できるものである、と私は考えている。今この時代に即した健康ビジネスとして痛みや病氣に悩む人を助けることになる。秩序を守れる、鍼灸師、整体師、中国武術教師、武道師範、起業して独立してみたい人など、など、太田氣功道場に興味ある方々に私の歩んでいる道を一緒に歩んでもらいたい。是非、これから私が開催する氣功整体講習会に参加していただきたい。そして政府が推奨する人生100年時代の構想に参画していただきたい。これより先に、政府が推奨するプロジェクトに補助金や開店資金が低金利で借りることができるやも知れない。今から準備をしよう。私の夢にチカラを貸してくれれば、私も全力で氣功整体のビジネスに全力を注ぎ込んで応援する。私とテレビ電話で繋がって患者の治療を共にして行こう。みんなからの氣功整体講習会への参加を待ちたい。是非とも事務局まで参加希望の連絡をしていただきたい。四月には九州で初めての氣功整体講習会が開かれる。

パスポート発見

鍼灸ライセンス発見後、またもや見当たらなくなっていたパスポートを紙袋の中で発見した。また安心を得た。日本の国籍を取り戻してアメリカのパスポートを大使館の方に返却しましょうか?と問い合わせたら、イヤ、キープしていて良いですよ!あと十年有効ですから!と言うので何かに役立つ時もあるだろうと、この五年間取って置いてあったのである。紛失して悪用されるとマズイのでは?と思って一応聞いてみたのであった。私のドライバーライセンスを帰国前には更新出来なかった。私の妻が急死したので更新手続きをする暇なく日本に帰国したのである。やはりクルマの免許が無いと不便である。タヒチに於いても必要になると思い、近くのハワイで免許の更新手続きをしようと思っていたのであった。アメリカのパスポートがぜひとも必要になる。今でも、更新が出来るかもしれない。もう一つ私には奇抜な夢がある。サンフランシスコの地震の時には、私がキャンピングカーに乗って師母の練習場に行っていたので一週間でも二週間でもクルマの中で生活できるという安心感があったので、タヒチでも日本の軽トラックにシェルを被せた小さなキャンピングカーを一台欲しいと考えていたのであった。免許証が要る。移動式のリビングルームのようなもので、大変重宝する。私は良く私の息子を連れて海や山の中で一泊旅行に行って自然の中で野外料理して息子をもてなしたものである。大きなトヨタのトラックにキャンピングに必要な仕様のシェルを被せてある結構大きなキャンピングカーであった。トイレやシャワーも付いていた。今ではソーラーをつけて電気の供給も可能だから、南洋赤道近くのタヒチでは何処でもソーラーを備えて電気製品、モーターボートまで動かすことができるだろうと日本のソーラー関連会社とも相談してみたい、と考えている次第である。

氣と霊素

宇宙の空間に、将来科学が進歩して電気の代わりになるエネルギーのあることを予見して、百五十年前にそのエネルギーを霊素と名付けた日本人が存在する。

大本教出口王仁三郎聖師である。

私は氣の正体が、ビッグバン以来、宇宙を拡大させ続けているダークエネルギーダークマターである、という仮説を立てている。明治時代に、この霊素は宇宙空間に無尽蔵に存在してそのエネルギーが電気が将来枯渇して電気の代用となると喝破した文献を読んで感動して、私は大本教に入信した。大本教を宣伝したくてこの記事を書いている訳ではない。出口王仁三郎聖師は続ける、人類が科学を進歩させて霊素を宇宙空間から取り出せるようになれば、無尽蔵にある霊素が人類の役に立つ電気の代用となり次世代のクリーンで人類にとって有用なエネルギーになり、人類に貢献すると言っている。私はどのようにして百五十年前の日本人が百五十年後の最新の天文物理学者が知り得た情報を、どうやってこんな説を立てることができたのだろうと不思議な感動を覚えたのである。ダークエネルギーダークマターが現在の科学では計測不能でその正体も解明されていない。宇宙空間の九十六パーセントはこのダークエネルギーダークマターであることは分かっている。霊素のことだろう。このダークエネルギーダークマターを発見解明できたらノーベル賞を取れると言われてこの研究者と私は酒を飲みながら氣と霊素、ダークエネルギーダークマターや宇宙の構図について話しをしたことがある。カリフォルニア州バークレー校に在籍している。氣の正体はダークエネルギーダークマターであり、霊素ではないでしょうか?という問いには、それが分からないから、今研究しているんですよ、とキラキラした目を私に向けて答えるのであった。日本の東京大学を中退してフリーの天文物理学者になってノーベル賞を取った教授の下で研究を続けている新進気鋭の最先端の学者であった。氣の正体は、氣の研究はノーベル賞にも繋がっていた。

チーゴン、マナ、ヨガ

私のタヒチに於ける尤氏長寿養生功と氣功整体普及の作戦は、次の通りである。これはヨーロッパに於いても同様な展開となるだろう。タヒチポリネシアの文化にも「氣」の概念はある。そのエネルギーを「マナ」と現地の人たちは呼んでいる。伝統的に自然のエネルギー、マナには恐れをなして敬う風習があるから私はマナと氣功を結びつけて、マナチーゴンセラピーとして氣功整体を展開する。またタヒチではヨガが盛んで、タヒチ各島にヨガの教習場があるようだ。タヒチアンは身体活動、運動スポーツを行ない、武道も盛んで空手、テッコンドー、柔道がとても盛んである。全てフランス本国の体育協会に所属している。マナの概念に氣功を結びつけるとチーゴンの質、効果と名前はすぐに知れ渡るはずである。マナは宇宙のエネルギーで地球の自然、海、風、雨などに影響を与えて人にもそのチカラが宿る、とされている。これは、まさに「氣」である。病氣になる時も回復する時もマナが働く。マナセラピーと言っても差し支えないだろう。ヨーロッパに於いても、ヒーリングが盛んで、マナのようなエネルギーを信じているヒーラーが多く、氣功の氣を信じている。タヒチからヨーロッパへと展開するには日本以上に環境は整っている。

反面教師

過去に、私よりもずっと歳が若くて私にケツをまくって道場を去っていった者たちは私にとって、反面教師になった者たちであった。その中には自称「教師」と名乗っていた者も含まれている。チカラが全く無いニセモノ瞑想家ではあったが、教員と言っていたので、ホンモノの反面教師であった。みんな性格と根性が悪い。どうやったら、こんな態度を取れるのであろうか?と思うほどである。一人はあまりにウソばかりつくから親戚筋にも愛想をつかされてオジオバから勘当同然で音信不通となっている。師匠であった私を、アイツ、と呼んだことをおじさんにたしなめられて逆上したと言う。全員が、自分たちの思うように私をコントロールしようとして私が言う通りにしないので、逆ギレした連中であった。恐ろしい人間たちである。私の人生には必要の無い人間たちであった。好きなことをして好きな人たちと仲間、同士を作る、この哲学には決して合わない、反面教師である。来年からは、環境を変えて全く別の土地で新しい生活を始める。こんな逆ギレ反面教師から習った教訓は大きい。そんなニオイをさせる人間たちが近寄って来たら、初めから逃げるか、やっつけるしかない。住んでいる世界が違い、哲学に大きな違いがある。もちろん、彼らにも哲学があればの話ではあるが、海外にいる外国人には日本人特有のホンネとタテマエが少ない。言葉と態度の裏にナイフを隠さない。この日本の反面教師たちは私の背中に隙あらばいつでもナイフを突き刺してやろうという意志はあったのだった。人間の心は、天使から悪魔までの幅を持つ。初めは天使の姿を見せつけて、自分の都合に合わなくなって、都合悪くなると悪魔に変身する。悪魔の心は地獄に通じるから、彼らの人生は地獄となるだろう。彼らの幸せはカネとモノの世界であるから満足が訪れるはずがない。幸せは訪れない。幸せになる秘訣とは、「知足」である。今の私は、小さな幸せに満足している。一杯のワイン、道場生と一緒にたまに訪れる回転すし屋、毎回入会する心優しい道場生、縁あって知り合う赤の他人、少ないお金、贅沢ではないが基本的な生活は送っていける。アメリカでの修羅場を体験した私は、資本主義が極に達した、カネを追求した社会がどのようになるかその結末がどうなるかを知っている。そんな私が選んだ人口一万五千のタヒチの小さな島は、資本主義とポリネシア独特の伝統が入り混じったある種の資本主義の理想の世界である。カネだけの為には生きていない。人生の本当の価値、例えば友情や家族、子、孫を大事にする。そんな小さな島は私には心地が良い。好きなことをして、好きな人に囲まれて好きな土地に住んで私の人生を生きる。私から奪ったもので人生を生きる反面教師たちは果たして、好きなことをして、好きな者と仲間同志を作っているのであろうか?

幸せなのであろうか?