幸せになる源

今週のお題「2017年にやりたいこと」私は経済学者でも哲学者でもない。今年から世界がアメリカのトランプの影響を受けて振り回されて、混迷の時代が数年続くと思われる。このような時には何が必要になってくるのであろうか。大抵の人はカネと答えるかもしれないが私にははそれがベストな答えであるとは思えない。私が師と仰ぐドクター尤は中国の文化革命の際、上海の大きな立派な家は荒らされてカーペットまで引っぺがされて全て奪われてしまった。暴徒が去った後に何も無くなった家の中で師母に向かって、ハッッハッハと豪快に笑って、共産党の奴らは私の財産を全部全て持っていってしまったが、たったひとつ持っていくことが出来なかったモノがある。私の中にある氣だと言ったそうである。私がこの氣功を教えた者がカネとモノに執着心を持ち、恥な行為を犯して、今赤恥を世間に晒している。私はカネやモノで人間が幸せになることはないと思う。真に人を幸せにするモノは何ものにも屈しない強くて柔軟な心であると思う。そしてその強くて柔軟な心を作るモノ、手段は何かと言えば、瞑想と瞑想で培われる氣であると氣功を三十年修行した結果、カネやモノはすぐ消え去って一過性のモノであり、永久的に残るモノは強い柔軟な心と氣であると思うようになったのである。私はアメリカから日本に持って帰れた財産もなくケガで左手と左脚が不自由になって、今では要介護2の身体障害者である。道場生に指導の際はイスに座って行なっているが、指導に不自由を感じた事はない。氣は今や最終、最高の段階にあり、今までの私の氣功人生で最高のレベルに到達している。そして更に上のレベルを目指して修行中である。強い自分をこの混迷の世で作ることが今年から必要になって来るという事が今日の日曜日の最初の訓練の後の私の道場生に向けた言葉であった。そして我々の自前の道場建設に向けて道場生の数を増やす目標も掲げたのであった。

基礎訓練の重要性

私の主催する講習会に何人かの尤氏意拳のニセ団体からそこの生徒が参加していたのであるが、非常に驚いた。この意拳には他の武術にはない独特な基礎訓練法があるが、この参加していた生徒達は基礎訓練が基本が全く出来ていない。以前、大塚の道場で指導を任されていた今では私の道場で指導員達が見て私以上に驚いていたのである。一つ一つの型の押さえておかなければいけないポイントを全く出来ていない。氣も出ていない、体力もビックリするほど無い。もうこれ以上私から習うものは何もないと思っておこがましくも独り別派を立ててもやって行けると思ったらしい。その立てた別派の尤氏意拳の生徒の弱々しい基礎訓練。中国にはドクター尤と師母から習った史老師という先生が教えていることが判明した。この史老師がこのニセ尤氏意拳を見たら何と言うことであろうか。一時期でも私が教えて例えニセでも別派を立てた者が教える基礎訓練がこんな屁のツッパリにもならない、クソの役にもたたないシロモノに私でも笑うのにこの史老師はどんな反応をするのであろうか?私の道場ではより一層厳しく激しくキツイ訓練を道場生に課している。史老師は時折日本に来るとおっしゃっていたので、そのうち私の道場に来ていただき、このニセ尤氏意拳の練習場所も教えて是非とも親交を深めようと思うし、このニセ団体にもお連れして技術の向上を図りたいと思っている。その時はこの尤氏意拳の生徒達達の基礎訓練も見ていただいたらどうだろうか?私には隠す事は何もない。史老師は私には兄弟子にあたる方である。大いに親交を深めていきたいと考えている。実に楽しみな事だ。嘘をつけばいつかばれる、実力もないのに一派を立てれば、いつか物笑いのタネになる。赤恥をかく。この記事を読むニセ尤氏意拳の生徒は相当の時間が経ち、物笑いのタネになることをどのように思うのであろう?カネと時間の無駄になってしまうことをどう思うだろうか?人生の中の少しの時間も無駄にすることを後になって後悔しても遅い。これだけ警鐘を鳴らしても考えを変えない理由を考えよ。間違っていると気づく時は、真の男は敢然と道を方向転換するのだ。そろそろ回りを見渡して気づく時が来た。一度で良いから講習会に来て見よ。見るだけなら講習会費はいらない。その違いを見て見よ。ホンモノを見たくはないか?一度見てから決断しても良い。私は私のみならず、家族同様の皆を利用して奪うようにカネを巻き上げた輩を許せない。このニセ団体が消滅するまで徹底的に糾弾する。人生は長いようで短い。時間を無駄にするなと言いたい。

私の家族

私は私の妻を亡くして日本に帰国した。私の妻が唯一の家族だったので

また一人になってしまった。であるから私の道場生は私の家族のようなものである。というより、もう家族なのだ。私の家族を利用して傷つける者がいれば、家族の長として守ることは私の責任である。傷つけられてカネを奪われたならば追いかけて取り戻す、制裁を加えて謝罪させることは当たり前の話だ。ましてや、習ったことも無く、実力もない者が私の師匠の名前をつけて勝手に武術団体を作り上げれば、潰さなければならない。この愚か者は自分で悪い事をしていると充分知っているのである。では何故そんな愚かな事をするのであろうか?  カネである。己れの道場の賃料と生活費を稼ぐことが己れの人生で一番楽に効率良く出来る事を知ってその味を占めたので辞められない。それに己れをテレビにも出た武術家であって、己れを俗に言うセレブと信じ込んでいるから今更、変更出来ない。カッコ悪い。時折この輩が口にする言葉が気になってはいたが、まさかここまでアホな事をするとは過小評価していた私の油断と不徳であった。さすがにここまでトチ狂うと私が黙っている訳にはいかない。遅ればせながら、私が出来る事は全てしなくてはいけない。どうやらいまでもカネに困ってあちこち借りまくっているらしい。東京、大阪、いまでは鳥取と往き来するので交通費だけでもバカにならない。それに贅沢は既に身についている。カネはいくらあっても足りることはない。アホウで身の丈に合わない贅沢と見栄だけは大人であって、しかも人の前に出たがりである。これは日本語では何といえば良いのだろうか?明らかに正常な人間のする事ではない。性格異常者とでも言えば良いのだろうか?ハッキリ言えばキチガイだ。まさにキチガイに刃物である。キチガイは自分のしている事は間違えていないと思い込む。口は政治家もビックリするほどうまいから大抵の者は騙される。カネを持っている者に近づき、カネを引き出すことは天才的だ。日本の社会に泳がせて置くには危険な事だ。今でも尤氏意拳の中には、カネを少しの間貸してくれとか道場の為にはこれくらい用立てて欲しいなどカネの無心をされていることがある筈だ。気がつけばもう何年も経ってしまっていたなと言うことにならぬよう、注意をして欲しい。それにこいつの回りで死んでいる方が多い。不思議な事だ。大本の関係者、日本拳法の関係者、急にバタバタと亡くなっている。邪気が強くなっているのだ。深く関わると生命すら危うくなっている。氣のチカラをバカにしてはいけない。関わっている者がいれば、要注意だ。邪気に感応した者が邪気そのものになった場合、こういう風になる。じーっと言っていることとやっている事を一つ一つ検証するしかない。尤氏意拳の道場生の理性に期待するしかない。太田記

 

善と悪の戦い

尤氏意拳に集まる者へもっと良く考えて貰うためにこのブログを書いている。公開質問に対して回答、言い訳はあったであろうか?100パーセント無い筈だ。事実無根のことだから答えようが無い。嘘をつくのは善であるかあるか悪であるか?悪であるか?どんなバカでも悪であると答える筈だ。大の大人が嘘をつき、その嘘をつく輩の率いる団体に所属することはいかがであろうか?善か悪か?微妙な事であろうか?自分の立場について良く考えねばならない。この輩に毎月月謝を渡す事はこの輩を助けることとなる。未だに借りたカネを返さずにあちこち逃げまわっている。事情を知らない鳥取まで行って田舎で息を吹き返そうとしている。まるでマンガの話しのようだが己れが生き延びる為には何でもやってやるというまた幼稚園児のアタマで負の道を歩んでいる。私は気付いたのである。歳と身体は四十過ぎた大人のようであるが一人では何も決められない。何も出来ない。今までは私の名前の裏に隠れて、母親、姉のアドバイスを受けたので、あまり失敗せずに来たが一人ではこの通り他人からカネを巻き上げ、借りても返さない。現実に目を向けずに逃げまわってうやむやにしようとする。こんな子どもが率いる団体に何の未来があるか?どんな結果が生まれるか?一事が万事ということがある。幼児が悪い事をしたら大人はどんな態度をとるべきか?自分の子供がそんな嘘をついた場合はどうするか良く考えて貰うたい。お前らに本当の勇気があるならばこの輩に直接聞いてみよ。公開質問の内容についてこんなことがあったか本当のことなのかすくなくとも聞いてコトの事実を直接調べてみよ。芦屋の体育館での講習会の動画を見よ。尤氏意拳の秘技と比べて見よ。バカで無ければ、目があるならば、見ただけでその違いに驚くだろう。似ていることはしているがその中身が問題だ。氣は進化する。正しい心で正しく修練すれば進化してしかるべきでその場に止まっている事はない。勿論、集まるカネ勘定と酒、飯にうつつをぬかしていれば進化する訳はない。時間が経てば自ずと分かる事ではあるが、時間が勿体無いとは思わないか?その間稼いだ金を貢いでムダ金になるのを指をくわえて見るのをどう思うのか?これは善と悪の闘いである。嘘と誇大な脚色は悪とすれば、そこにとどまる事は悪を助ける事になる。正直と嘘が無い事、事実が善とすれば、常識ある者であれば、どう行動すればベストであるかは簡単に理解出来よう。自分の存在する意義は何なのか考えよ。カネが大事か?無益な格闘技習得か?正統な継承か?真実か?この輩の言うことと行動を良く見ていれば大きな変化がある。私が日本に帰国して物事をハッキリさせることを知っているからだ。またもや、幼稚園児のリアクションがある筈だ。請われるままならば、地獄の底まで付き合わされる。その前でにせ団体であることに気づきその団体を離れることになることになるが、、、。太田記