私の家族

私は私の妻を亡くして日本に帰国した。私の妻が唯一の家族だったので

また一人になってしまった。であるから私の道場生は私の家族のようなものである。というより、もう家族なのだ。私の家族を利用して傷つける者がいれば、家族の長として守ることは私の責任である。傷つけられてカネを奪われたならば追いかけて取り戻す、制裁を加えて謝罪させることは当たり前の話だ。ましてや、習ったことも無く、実力もない者が私の師匠の名前をつけて勝手に武術団体を作り上げれば、潰さなければならない。この愚か者は自分で悪い事をしていると充分知っているのである。では何故そんな愚かな事をするのであろうか?  カネである。己れの道場の賃料と生活費を稼ぐことが己れの人生で一番楽に効率良く出来る事を知ってその味を占めたので辞められない。それに己れをテレビにも出た武術家であって、己れを俗に言うセレブと信じ込んでいるから今更、変更出来ない。カッコ悪い。時折この輩が口にする言葉が気になってはいたが、まさかここまでアホな事をするとは過小評価していた私の油断と不徳であった。さすがにここまでトチ狂うと私が黙っている訳にはいかない。遅ればせながら、私が出来る事は全てしなくてはいけない。どうやらいまでもカネに困ってあちこち借りまくっているらしい。東京、大阪、いまでは鳥取と往き来するので交通費だけでもバカにならない。それに贅沢は既に身についている。カネはいくらあっても足りることはない。アホウで身の丈に合わない贅沢と見栄だけは大人であって、しかも人の前に出たがりである。これは日本語では何といえば良いのだろうか?明らかに正常な人間のする事ではない。性格異常者とでも言えば良いのだろうか?ハッキリ言えばキチガイだ。まさにキチガイに刃物である。キチガイは自分のしている事は間違えていないと思い込む。口は政治家もビックリするほどうまいから大抵の者は騙される。カネを持っている者に近づき、カネを引き出すことは天才的だ。日本の社会に泳がせて置くには危険な事だ。今でも尤氏意拳の中には、カネを少しの間貸してくれとか道場の為にはこれくらい用立てて欲しいなどカネの無心をされていることがある筈だ。気がつけばもう何年も経ってしまっていたなと言うことにならぬよう、注意をして欲しい。それにこいつの回りで死んでいる方が多い。不思議な事だ。大本の関係者、日本拳法の関係者、急にバタバタと亡くなっている。邪気が強くなっているのだ。深く関わると生命すら危うくなっている。氣のチカラをバカにしてはいけない。関わっている者がいれば、要注意だ。邪気に感応した者が邪気そのものになった場合、こういう風になる。じーっと言っていることとやっている事を一つ一つ検証するしかない。尤氏意拳の道場生の理性に期待するしかない。太田記