驕る者は滅びる

無限に、尽きない欲望と己れの何にそんな自信があるのか、根拠の無い驕りに満ちた自称尤氏意拳の創始総師範神田真澄こと神田吉隆の最期は、師匠と道場生を騙した行為はいづれ自分の手下の生徒や誰かに同じように騙されて、結局は、自分の犯した罪ある行為が自分に跳ね返って道場生を傷つけた以上の苦しみを味わって、最期を遂げる。驕る平家は久しからずと言うが、驕る者は滅びる。しかも私が、三十年ほど前に通氣の儀式を受けてすぐに私が開発した、初歩的な技である勁空勁をもって、意拳の全てを受け継いだと、またもや神田真澄こと神田吉隆の十八番の自称して中味のない尤氏意拳を立ち上げている。そんな大それた自信は何処から来るのか、一時期師匠であった私にもサッパリ分からない。私も、ましてや師母もサンフランシスコの道場生でも尤氏意拳を名乗れるほどの実力であるとの客観的証拠は未だかつて皆目無い。こんな風に、自分が、自分が、とあまりに言うと、三十年ほど初めから今まで、全ての事情を知っている私は、このウソつき小僧メ!という神田真澄こと神田吉隆に対する不信感と悪感情が腹の底から湧いてくる。神田吉隆の氣は私の足下にも及ばないので、氣の大は氣の小を呑み込んでしまうので、神田吉隆には精神的にかなりキツイ筈である。しかも神田吉隆と尤氏意拳には正義と大義が無いから、尤氏意拳に集う生徒逹は大学で、あたかも講義を幼稚園児が受け持っているようなものである。それでもついて行く理由は何の為なのであろう?私にはとてもじゃないが理解出来ない。メクラがメクラの手を引いているようなものである。しかし、根拠の無い自信で、驕りを続ける限り、いづれ、神田真澄こと神田吉隆と尤氏意拳は崩壊して滅びる。私にここまで糾弾されて正体を晒されて、この末代までの恥をどのように受け止めるのか?

驕る者は滅びる。