全共闘と武道

ついに警察官を殺害した中核派の男は逮捕されたが、今は皇族も入学する私も入学したことのある国際キリスト教大学は今は平和であるが、昔、私が入学した時は、学生運動の嵐の真っ只中にあって、田舎の仙台から ICU に入った私には全寮制である ICU はありがたかったが、私の入った寮は全共闘の巣であった。何もわからない田舎の新入生は寮全体の意思として決定される寮の方針についていくしか生きる道は無かった。当時、日本を革命で変革しようと本気で考えてる者が大勢いたのだ。勉強したくとも寮の決議で授業を受けることすら出来ない私は武道少林寺拳法に没頭した。寮議会を独占していた全共闘の一人は寮議会の会計をしていたが、ある日突然、寮生から強制的に集めた寄付金を会計係りがカネを持ち出し、忽然と消えてしまったと言う。当時の金額で三十万円と言う。ガールフレンドと遊び回っていたと言うのである。次第に革命軍の実態が分かって来た。しばらくすると、本当の姿を見せて来る。就職まじかになって、全共闘の幹部の一人は一流銀行に就職する。そして寮議会の運営は新入生の一年生の我々に託されるが、警察の収監を終えた上級生が寮に帰ってくる。なり手の無い議長に私はならされて、議会を運営していたが、帰ってきた全共闘の幹部にさんざん運営のやり方に文句をつけられて罵声を浴びせられる頃には、私の怒りは頂点に達して、目の前にいたその男の腹に私の右腕の肘の位置ぐらいまで、気がついたらめり込んでいたのであった。強制的に集められたカネは私の一週間分の食費であった。また、寮の同部屋の四年生は私の机の引き出しを全て開けて、仙台から持って来たインスタントコーヒーを開けて私のいない時に飲んでいるなど、朝飯前のことだった。こんなことが毎日続き、ある縁でアメリカに渡った私は、帰国前にその時首謀者格であったものが、アメリカであるキリスト教会の牧師をやっている事が判明した。親父が代々の牧師で、コネで、安全な就職であったと思われる。私よりも歳をとった者を殴ったり蹴ったりしたら死んでしまうかもしれない。しかし、このニセ革命家の影響で全共闘の一員になった私の寮の後輩は、あの残忍な中核派に鉄パイプで頭を殴られて絶命していたのである。このニセ革命家の何人かは少林寺拳法の剛法の私の突き蹴りのお世話になったことでは、今は辞めたけども、私は少林寺拳法に感謝している。革命家を標榜するニセ革命家は生活の為には革命を放棄してカネと就職を選ぶ人種であることを、私は身をもって学んでいる。我らがニセ尤氏意拳の大宗家創始総師範もこのニセ革命家と同じように生活の為には、師匠と道場生の間に入り込んで、裏切って、甘い汁を吸った後に逃げに逃げ回っている。私の怒りの鉄拳は届かない。今の私に唯一出来ることはこのニセ革命家団体同様にこのニセ武術団体に入る者に注意警告を与えることである。このニセ武術については言っておかねばならないことは山ほどある。それは次回に、