虚飾の人生

私は虚飾の人生を歩む者はいるものか、と甘く考えていたようである。その甘い考えは撤回した。疑う訳ではないが、もっと人物を観察して、じっくり話しをして、援助する、カネを与える、何かを任せる等、等、、、、。外見を虚飾して、言葉を虚飾し、行動も虚飾する。そして虚飾は年月を経て噓になる。虚飾は形になって、高級車高級靴となって自分の周りに元モデルのオンナ達が現われる。とにかく、カッコ外見が大事だ。中身などどうでもいい、自分でもイケメンと思うほどナルシストである。自分を世間に

売り込んで、自分を認めてもらいたい。ここまで来ると、もう病気である。心療内科心理療法が必要になる。学歴にコンプレックスがあって、拳暦をごまかしてチョットの噓が拡大して、我慢出来ずに大きな噓も平気になってしまう。練習したことのない武術を過酷な訓練をしたと言って、新しい武術まで全部自称で作り上げてしまう。カネが足りなくなると百万単位で生徒に頼んで小金を持つ、他の生徒にカネの強要をする。私の想像ではない。私が二十五年に渡り、自分の目で見て、神田吉隆の生徒から聞いた話しである。虚飾は噓となり、罪悪感も持たないモンスターに変身する。働くことなど、借金の返済など面倒くさい。そんなことはくそくらえ、だ。自分の人生に泥を塗っても平気だ。カネと恥と賎を取り、貴と誇りを捨てた人生を歩むことを選んだ。尤氏意拳の宗家創始総師範神田真澄こと神田吉隆の別の名はついにカネだ吉隆となってしまった。哀れな人生である。