生き甲斐其の二
生き甲斐の延長上に修練して、技術の練磨、自分自身の完成を目指すことがある
のであろうが、そのためには、毎日の
訓練修練修行がどうしても必要となる。
私もこの尤氏長寿養生功を私の手に
委ねられてから、毎日の瞑想と修練を怠らない。欠かさないのである。当然、
一日の生活のリズムは氣功修練が主体となって、他のことが入り込む余地はない。朝起きては瞑想、起きては、脚腰の鍛錬、就寝前に瞑想の毎日である。
何も苦にならない。当たり前の一日の
流れとなって、年月が過ぎて行く。
今、私の顔を、朝に鏡を見ると、あれだけ真っ白だった髪の毛は真っ黒になって
いる。私の白くなったヒゲを見て、師母がヒゲを撫でて、ダメだ、黒くしろ!と言われたことを思い出す。私も老齢の身
になって、師母も毎日修練訓練瞑想の
結果、百になっても、髪は黒く、肌は
ツルツルであった理由が分かるようになった。毎日の瞑想訓練修練が生き甲斐の
中味なのである。その結果となって、
生まれるパワーを羨ましがって、パワーの技術ワザだけ習っても、意味はない。
そのパワーを支えるものは朝から晩まで
の修練と瞑想であった。見かけだけ、外見のみを追いかける者は浅はかな結果
のみ、自分を師範と呼びたいだけの
理由でこの尤氏長寿養生功に関わり、
生活費を稼ぐ手段だけの為に身体が大きくても働きたくないので、尤氏意拳の
肩書きだけの師範にしがみつく。
浅はかで見苦しい。
結果、私にとって、鼻くそのような
ワザ技術を秘技秘術と自称して、私に見られるとマズイので隠してしまう。
なんという生き甲斐なのであろう?
ぶざまな生き様の生き甲斐は生徒に
どう説明するのであろう。
こんな人生を送る人間を尻目にして、
私の生き甲斐は、私の毎日の瞑想訓練
修練は、続けられている。