私のTRAUMA と目白医院

どの国でもトラウマを受けて悩む人々はいる。私もそれに漏れず、幼少期の母親の無学の為に折檻を良く受け、その折檻の一つに火のついたお線香を肌につけられることがあった。小さな子供には恐怖以外の何物でもない。数年経って、母親は乳ガンになり大手術を受ける。手術後、無学の母親は乳ガンの

原因は母がお線香を持って私を追い回した時に私がバタバタする足で母親を蹴った事であると言って、私を責めるようになった。小さな子供の小さな胸は張り裂けそうで、良く大粒の涙を流したものである。罪の意識を植えつけられた。甲斐性のない父親へのどうしようもない怒りを一番小さい私にいつもぶつけていたのであった。私が中学三年生の時に父親は酒の飲み過ぎで他界する。高校入学を果たした私は一心不乱に勉強した。極貧家庭から抜け出す為である。東京の大学に入学出来た時はこの家から正当な理由で抜け出すことができるとして天にも登る気持ちであった。私は入学して間も無く、母危篤の電報を試験の最中に受け取った。私は試験用紙を破り捨て、

そのまま家に帰る。すぐ大学病院に向かって、昏睡状態の母親に話しかけるが、応答はない。朝方呼吸が止まって、私だけが起きていた。私はすぐ担当の医者と看護婦に連絡する。医者が来るまで、私は胸を叩きつけてなんとか呼吸を取り戻そうとした。慣れない人工呼吸で骨の折れる音も聞こえたが、構わず続けた。じきに死亡宣告が出されて、母親は他界した。母親との一連の出来事は私のトラウマとなった。乳ガンを克服する医学の道に進みたかったけども時、既に遅しで、

両親を亡くした私は渡米のチャンスをこれ幸いとして、アメリカへ出発する。

 ニクソン大統領以来、鍼灸治療は、医療先進国といっても、アメリカでは、難病、特にガンは

西洋医学には手に負えない分野で、

西洋医学にとって変わる、代替医療として鍼灸はもてはやされていた。医学に興味のあった私はカイロプラクティック鍼灸のどちらを選ぶか、迷ったけども幅の広い東洋医学治療の出来る鍼灸を選んだ。サンフランシスコに鍼灸大学が身近にあったこともその一つの理由である。学費援助を申し出る友人も現れて東洋医学を本格的に学ぶ機会ができて喜んだ。1994年に大阪に氣功道場を開き、日本全国から道場生が集まる。その中に一人の医師の卵がいた。彼は救命医として、脳神経外科医となった。後には漢方の専門医となり、東京目白に目白医院を開設する。ガンや難病に特化した、統合医療の専門医である。漢方や氣功、代替医療を使い、末期ガンや西洋医学の手に負えない病気に悩む患者を治療して多数の治療の成功例を出している。私と彼、水足一博医師との付き合いは長い。私のトラウマは尤氏長寿養生功を訓練して、今、トラウマは消え去り、念願だった乳ガン撲滅の希望の光は目白医院に引き継がれて、私の母親の仇を取ってもらっている。TRAUMA は消える!。正しい瞑想を教える氣功は私のトラウマを消してくれたのだった。