師母の手

今でも思い出す。訓練の時に師母は站椿功を私がする時には両手で私の站椿の形を治してくれた。腰の形を決め直し、両手指の形を直してくれた。師母の手はマシュマロのように柔らかく、暖かかった。逆に私の手は冷たくて、いつも私の手をひっぱたいた。入門して三年間は両手が温まらなかった。お前は日本人だから、三年間は監視体制に置く、と意地の悪い中国系アメリカ人の女通訳に一番最初にキツく言われたことが原因であったと思われる。多分この意地の悪い中国系アメリカ人の通訳の偏った主観がこの言葉には多分に入っていたのだ。師母はそんなことは言っていなかったと思われる。師母は毎日欠かさずに遅刻もせずに練習に来る私を特別に思ってくれたのかもしれない。柔らかく温かい師母の手を私は心地よく感じた。毎日飽きもせずに通って、三年後には八年ほど先輩だったこの意地悪オンナ通訳を追い越してしまった。このオンナは悔しがって、師母に私を悪く陰口を言って、通氣を私にあげないようにと陰で工作をしていた。それでも、ドンドン上達する私を師母はみんなの前で、お前らは、こいつが日本人だから、教えるな、とは言うが、こいつが毎日通って来て上手くなっている以上、教えない訳にはいかないだろう!!と大声で言った。涙が出るほど嬉しく、感動した私はますます修練に精を出して、ついにトップの座を勝ち取った。今では師母は亡くなってしまったけれども、師母の柔らかくて温かい手が大変懐かしい。柔らかくて温かい手は握り締めて拳を作ると私の拳より大きかった。アンバランスなその拳の大きさに驚いた私は私の拳を作って師母の拳と比較して、大きい、大きい、モンスター、とふざけたら、黙ってニコニコしていた。まんざらでも無かったようだ。今となっては全ての事が懐かしい。死ぬほど辛かった訓練も懐かしくて、楽しい良い思い出になっている。