突発性難聴

この病いで治療院を訪れる患者は多い。あるテレビ局のドキュメンタリー番組で元プロボクサーやさまざまな武術家を空勁で投げた後に高齢者の突発性難聴を氣功で治せるか?と言う問いに私が答える形で難聴専門の病院内で録画された。日本では私のアメリカのライセンスは使えないので、身体に触れることも許されずに治療する。四、五人ほどの患者が用意されており、難聴の程度は軽いものから重度なものまで入り混じっていた。私に与えられる条件はいつもこんなようにわざわざ困難にしているのではないか?と思うほどに極端なケースを用意してあった。ボクサーや大学空手部の初対面者も成功したので医療も歩けない変形性のリューマチなどにも尤氏の氣功の効果はあった。体型の歪みを指摘した後にその歪みを正すように突発性難聴の治療は進む。科学的な機材で耳で聞こえる音の大きさを測ることも出来ない東洋医学であるから、私が耳元で指をパチパチ鳴らして音が聴こえる所まで指を近づけて治療後に音が聞こえなかった所で指をまたパチパチ鳴らしてやると、聞こえるようになったね、と言う患者が続出した。結局全員聞こえるようになった。病院であるから難聴の患者の耳で聞こえる音のレベルを測る機材で測ると医学的に聴こえるようになった証拠は出なかったが患者が聴こうとする注意力が増して聴こえることになったのだろうと結論づけられた。医学的な証拠は無かったけども、患者自身が聴こえると言って喜ぶことが東洋医学ではないか?と言う想いが私には湧いていた。医学的な説明はどうであれ、患者に寄り添い、患者の悩みを解決することが東洋医学に求められていることなのだ。アメリカの私のクリニックでは鍼を用いるからもっと効果のあることはもちろんである。タヒチに於いても突発性難聴のフランス人を完治させた。