反面教師

過去に、私よりもずっと歳が若くて私にケツをまくって道場を去っていった者たちは私にとって、反面教師になった者たちであった。その中には自称「教師」と名乗っていた者も含まれている。チカラが全く無いニセモノ瞑想家ではあったが、教員と言っていたので、ホンモノの反面教師であった。みんな性格と根性が悪い。どうやったら、こんな態度を取れるのであろうか?と思うほどである。一人はあまりにウソばかりつくから親戚筋にも愛想をつかされてオジオバから勘当同然で音信不通となっている。師匠であった私を、アイツ、と呼んだことをおじさんにたしなめられて逆上したと言う。全員が、自分たちの思うように私をコントロールしようとして私が言う通りにしないので、逆ギレした連中であった。恐ろしい人間たちである。私の人生には必要の無い人間たちであった。好きなことをして好きな人たちと仲間、同士を作る、この哲学には決して合わない、反面教師である。来年からは、環境を変えて全く別の土地で新しい生活を始める。こんな逆ギレ反面教師から習った教訓は大きい。そんなニオイをさせる人間たちが近寄って来たら、初めから逃げるか、やっつけるしかない。住んでいる世界が違い、哲学に大きな違いがある。もちろん、彼らにも哲学があればの話ではあるが、海外にいる外国人には日本人特有のホンネとタテマエが少ない。言葉と態度の裏にナイフを隠さない。この日本の反面教師たちは私の背中に隙あらばいつでもナイフを突き刺してやろうという意志はあったのだった。人間の心は、天使から悪魔までの幅を持つ。初めは天使の姿を見せつけて、自分の都合に合わなくなって、都合悪くなると悪魔に変身する。悪魔の心は地獄に通じるから、彼らの人生は地獄となるだろう。彼らの幸せはカネとモノの世界であるから満足が訪れるはずがない。幸せは訪れない。幸せになる秘訣とは、「知足」である。今の私は、小さな幸せに満足している。一杯のワイン、道場生と一緒にたまに訪れる回転すし屋、毎回入会する心優しい道場生、縁あって知り合う赤の他人、少ないお金、贅沢ではないが基本的な生活は送っていける。アメリカでの修羅場を体験した私は、資本主義が極に達した、カネを追求した社会がどのようになるかその結末がどうなるかを知っている。そんな私が選んだ人口一万五千のタヒチの小さな島は、資本主義とポリネシア独特の伝統が入り混じったある種の資本主義の理想の世界である。カネだけの為には生きていない。人生の本当の価値、例えば友情や家族、子、孫を大事にする。そんな小さな島は私には心地が良い。好きなことをして、好きな人に囲まれて好きな土地に住んで私の人生を生きる。私から奪ったもので人生を生きる反面教師たちは果たして、好きなことをして、好きな者と仲間同志を作っているのであろうか?

幸せなのであろうか?