尤氏長寿養生功の継承

あのニセ意拳団体尤氏意拳の宗家創始総師範と自称している神田真澄こと神田吉隆ことカネだ吉隆は私から神意拳を受け継いだ、全てのワザ、極意を受け継いだと言っているが、そんなことを私は認めた事実は一切無い。神田真澄ことカネだ吉隆が自分で勝手に言っていた。今でも言っているかもしれない。私が師母から認められたように、神田吉隆ことカネだ吉隆は私にそのチカラを認められねばならない。そもそも、訓練の時間がたった一ヶ月では、どのようにして継承など認められようか?しかも、師母とのたった二回の面会を数年間の過酷な訓練を受けたとウソをつくに至っては継承など認められようか?誰が考えても明白だ。ではなぜ、こんなことを言ったのかと言えば、私が日本に居なかったから、氣が見えることはないので、少し出来るワザや私から習った基礎訓練を教えて私から全て習ったと言えば、カネが手に入れられると思ったからだ。本当にウソ偽り無くした修行など、面倒なだけだったのだ。不誠実でウソをついても悪いこととは思わない人間なのである。私と私の道場生の間に割り込んで、双方にウソをつく、騙す。そんなことをして悪びれることもない。奪うように取ったカネを返済しようとすることもない。一体どのようにして継承しているなど、言うことができるのだろう。私にはもはや、人間として認められないのである。私は自分が師母から継承したと言ったことは一切ない。死ぬほど訓練して、師母にお前の脚は合格したと言われて、お前が日本で教える時には、師母から習ったと言うんだぞ、と言われた所まで師母と私の信頼関係が勝手に築かれていたのだ。私のワザを見てもらえば、すぐ分かる筈である。もうひとつ、私は一本のDVD ビデオを持っている。ドクター尤老師と師母の練習訓練の内容が写っている。私は継承したと言わない。一生懸命に習ったと言う。カネや利権の為に習った訳ではないのだ。習ってもいないことを習ったと言って、継承もしたと言うあさましく図々しい人間には私はなりたくない。今、はっきり言っておきたい。尤氏意拳の大先生には継承を渡してなどは一切無い。尤氏長寿養生功の継承は私の四人の指導員にしている。したいと思い、毎回の修練に励んでいるのである。

カネの不祥事

昔も今も、社会の中で問題不祥事を起こす原因は、モノカネオンナと相場は決まっているが、圧倒的にカネの不祥事が多いだろう。私の経験でも、大学時代の寮の会計係りのカネの持ち逃げ、日本の政治家もカネとオンナで政治生命を絶たれている。カネは自分の夢を叶える所へ連れて行ってくれるクルマのようなものである。自分がハンドル出来る以上のカネを欲しがって、無理な方法を実行する時に問題不祥事が起こるようである。あの持ち逃げした全共闘の寮の会計はガールフレンドと遊ぶカネ欲しさで不祥事を起こした。尤氏意拳の大先生も供出させたカネを持って逃げ回っている。おそらく全て使い果たしただろう。自分が返せる範囲内のカネなら問題はないだろうに。返済意思のない借金と私的目的の寄付金集めなら、法律の専門家でない私でもその行為は犯罪であることはすぐ分かる。己れが最低限生きる為のカネは贅沢しなければ、そんなにかかる訳が無い。それ以上のモノことを欲しがる我欲があるのでこんな不祥事を起こしてしまう。瞑想を教えるレベルに自分はあると自称するなら、瞑想の極を体験しているならば、カネ、モノへの執着心は自制出来る筈である。そして、社会人ならば、不祥事のケジメはつけないといけない。あの強欲な政治家でも辞職で政治生命を絶ってケジメをつけるのである。総額一千万円のカネの不祥事を起こした尤氏意拳宗家創始総師範は返済もなく、ケジメもつけていない。私の知る限り、寄付を信じてなけなしの貯金を渡した後に、今困っている道場生がいる。何としてもカネを回収してそのカネを返してあげたい。尤氏意拳の大先生は私より若く、身体は人並み以上の体格でどんなチカラ仕事も出来る筈であるが、働こう、返済しようとの考えも無いらしい。このまま何もせずに

ほおかむりして、うやむやにしてしまおうという作戦らしい。このケジメをつけられない瞑想の大先生は浅草で瞑想を教えていると聞いた。このケジメをつけられないエネルギーは瞑想の参加者にどんな影響を与えるのであろう?せめて氣の狂う者が出ないことを祈るばかりである。

チベット密教の瞑想

最近は瞑想ブームである。尤氏長寿養生功の站椿功と座禅は一対で、尤氏長寿養生功の根幹を成す重要な基礎訓練であって、入門時から私の私たる、私を成すもので、今も毎日続けている。氣を電気と例えるなら、瞑想は発電機である。氣を使う時はいつ来るかわからない。二十四時間三百六十五日最大の氣を発することができるように準備して溜めておくのである。何も武術、護身の為だけではない。生まれて生きて何を成して死んで行くのか?

その答えが瞑想で掴める。ドクター尤老師がチベット密教の瞑想を意拳のシステムに取り入れてから、よりスピリチャルに、より仏教的な健康養生功として生まれ変わったのである。どちらが強い、弱いの競争から真の強さ、真の勝利者を求めて目指す医療的氣功となったのだ。この密教の瞑想は毒にもクスリにもなる。瞑想を指導する者が未熟な場合、教わる者が狂うことがある。東京大塚で瞑想を教わった者に氣が狂った者が出た。指導者が未熟者であった。己れの瞑想の時間が足りずにジャンプをさせて、瞑想の指導に失敗したのである。充分に己れの氣が降りていないのに、焦って、自分の強さを誇示する目的で教えてしまうその浅はかな行為は人を狂わす。毒になったケースだ。一方私の患者に半身不随の人がいて、医者も見放した患者の母親が息子に教えた瞑想を私にも教えて欲しいと言って、私が瞑想をその場で教えたところ、翌週二人で私の医院に来て、母親である老婆がニコニコして、先生、教えてもらった瞑想を一週間毎日続けたら、持病の喘息がすっかり治りました!と言うのである。私の方がビックリしてしまった。クスリになった例である。このように片や自己の誇示をすると毒になり、癒し再生の為であれば、クスリになる。心のエネルギーが黒いと悪い結果となりエネルギーが白くピュアであると良い結果となるのである。心に慢心や邪念があって瞑想を教えると氣が触れて当然だ。大塚で教えた者が浅草で瞑想を教えていると私は聞いたが、慢心や邪念は目に見えない。浅草で習う者達は、充分に気をつけて、元大塚の指導者の邪気を受けぬよう気をつけないといけない。貴重な人生の時間を無駄にしてはならぬ。

光には蛾が集まる

前回、瞑想をして光を見る、その光のバトンの手渡しが尤氏長寿養生功では行われていると話した。ここに問題が起きることも言っておかねばならない。その希望の光には蛾が集まるのである。欲の深い人間も集まってくる。蛾が一匹まじかに来て光をもらい、蝶になったと勘違いして飛び立った者がいる。蛾は蝶になれない。どんなに頑張っても死ぬまで蛾なのだ。蝶は花の蜜を吸うが、蛾人間はカネと利権を吸って蝶だとウソをつく。蝶は心が蝶だから蝶になることを蛾人間は知らない。蛾人間の心は心が変わらなければ蝶になれないことを知らないらしい。ウソと虚偽で蝶だ蝶だと言っている。高級な車や靴で身を飾っても蝶にはなれない。口でだけ意拳であるとか禅の瞑想であると言っても、蝶にはならずに蛾人間はいつまで経っても蛾のままである。毒のある粉を振りまくだけである。

站椿其の二

站椿で最初に頭に浮かぶことは、私の妻のように順風満帆で育てられた者の頭には傷が無く、食べ物が浮かぶ脳であるかもしれないが、私の脳はあちこちに傷があったと思われる。しかし、瞑想はこの傷をパッチワークしてくれるのである。そしていづれ脳には傷が無くなって、瞑想時にはなんとも言えない安らぎの時が訪れる。この安らぎは、私の経験では、どんな金品でも購うことは出来ない心に必要な時間である。いつまでもそこに留まっていたいと思わせる体験である。人によって違うこともあると思うが、少なくとも私にはそう思われて、なぜ、先人の禅のお坊さんや覚者が瞑想を重視していたのか身をもって理解出来たのである。だから、金品にはあまり執着心は無い。金品より貴重なモノを知ったからだ。人間を向上させるにはは不可欠な行為なのだ。ドクター尤はこのことを体験したに違いない。武術が強さで競うことに重きを置いて修練することは人間の行為には重要なものではないと悟ったのである。ここに尤氏長寿養生功の面目があるのである。この尤氏長寿養生功の瞑想と訓練は日本の精神界と武術芸術の分野に多大の影響を与えることができると私は信じて疑わないのである。

最初の站椿功

一番最初に立って瞑想する站椿功の時に何が頭の中を駆け巡ったかよく聞くが、私の時には、生まれた頃からこれまでのさまざまな出来事が走馬灯のように時系列に出てきてひとつひとつなぜそうなったのか、不思議に分析していたのであった。站椿功が終わって、トイレに行って鏡の自分の顔を見た時驚いた。額に青筋が立っていたのであった。怒りであった。この氣功に出会う前に相当な怒りが私の中にあって、そのはけ口が無かったようだ。だから、瞑想して深層部の心の中より湧き出てきたようだ。念のため、私の妻に站椿功の時に何が頭の中に浮かんだか聞いて見たが、食べ物のことが出てきたと言った。人によって違うらしい。私の怒りを分析して見たが、幼い頃いじめられた頃の分析、小学生中学生の時に理不尽な学校の先生の体罰、高校大学の学費が足りなく、バイトの毎日など生きてきた意味、何の為に生まれてきたのかなど相当に哲学的なものであった。出会った他人の死などもあった。何を求めて生きるのかという深い瞑想であったと今では思うが、最初何の説明なくさせられたので戸惑いとどのように処理するのかわからない。今の自分の心境で私の生まれてどう生きてどう終わらせるのかともうそろそろ見えてきた。貧富貴賎の境遇は我々には選ぶことは出来ない。その境遇から抜け出るには、幼い頃から準備しないと理想の自分には到達出来ない。私がそうである。頭は良くないので、コツコツ勉強する。思えば、荒れ地の開墾のようである。今でこそ収穫出来る程に土地にクワが良く入って、均されているようだ。別に武術や氣功で職業としようとしたことはない。自然の流れでそうなった。土地の開墾と同じで良い土を作るには土地の開墾と土に作物を育てられるまで耕すのである。人生とはそんなことではないか?若い時には荒れ地を耕すように身体を傷つけながら、岩や石ころを取り除く作業が必要だ。だんだんといろんな作物が取れるか試してみる。そのうちに一番効率の良い作物が取れて少しずつ生活も楽になる。晩年は子どもも大きくなって子どもにアドバイスして教えて、さらに土地を広げる。こんな地道な作業が人生ではないかと、今は、実感として私の中にある。今私は収穫の真っ最中である。私の子どもは道場生に育ち、少しずつでも手を広げて新たな大地を求めて目を向け始めているのである。一人の人間が何か伝えて、そのうち伝えられた人間がまた伝えて伝播して行く。希望の光が見えてくる。そう、光、ともしびの拡大である。最初の站椿功から三十年、怒りの站椿は長いあいだの瞑想によって、荒れ地は開墾されて、怒りも静まり、開墾後の土地に植えた作物を分け与える季節になっている。瞑想を次の世代にバトンタッチするのである。私には希望がある。私の子どもたちがバトンタッチされたバトンを次の世代に受け渡ししてくれる。その希望は光である。暗い世の中を照らして、次の日本の子どもたちがつまづかぬようになる。この希望の光を間違えて暗闇に引き込んでいる者がいるということも注意しておかねばならない。尤氏意拳である。尤氏意拳にはバトンは渡していない。

師母とダンスをした

あまりのカネだ吉隆の人間性の冷たさと酷さに憤慨する私は少し度を超えた表現があったと反省し、エネルギーを変えて笑い話をしてみたい。忘年会だったか新年会だったか、もう忘れてしまったが、どっちにせよ、パーtィの時である。音楽が流れて、師母が身体でリズムを取っていたので、また私が茶目っ気を出して師母、 Let's  dance!  と私が誘うと、嫌がらずに手を取ったのでダンスを始めたところ、師母の踊りは1930年代のもので、そんな踊りは私は知らないので、ただ動きに合わせて身体を動かしていると おまえは、下手くそだ!と言われて退散した。もちろんダンスなどしたこともない私には1930年代のダンスなど分かる筈もない。今となると、思い出しては、ニヤニヤする楽しく、滑稽な出来事ではある。道場生の中で、師母とダンスをしたのは、私くらいであったろう。

ハ、ハ、ハ、