道場生とのインドでの再会

インドの遠く南インド、トリバンドラム

という避暑地で偶然にも、カリフォルニア州で教えた道場生と高級ホテルで、

バッタリと出会ってしまった。こちらはあちこち飛び回っているので、誰かには出会う機会はあると思っているから、

そんなことには驚きもしなかったが、

あっちサイドでは飛び上がって驚いていたのであった。ヒマラヤに登った後に

休みに来てるらしい。世界のどこに行っても知り合いと再会するのは嬉しいことだ。カラリパイトのことを話して、なぜ

今インドにいるのか事情を話した。

海がすぐそばにあって、暑いので、海で泳いだら、働きすぎて免疫力が低下していたようで、カゼをひいてしまった。

さすがに通訳が私しかいないので、心配になってか、こんなところで泳ぐからや〜。と私を叱りつける。すぐ寝て、翌日早い予定なのでふとんをかぶって

寝てしまった。こんな人間達とは

旅行を共にすべきではない。

私は人生をかけて、妻は命をかけた

私は妻が亡くなって、遺骨を日本に持ち帰り、埋骨の際、約束した。心に

誓った。この尤氏長寿養生功を日本にタネを撒き、育て、日本中に拡めることを。大塚の道場を任せたオトコの

反乱を鎮めてこの氣功の再出発を、/p>

残った道場生と一緒に果たすことを約束した。私の妻は、当時神田真澄こと姜吉隆の東京大塚の道場での行状を全て道場生から聞いて、把握してp>

報告が私についに届いたのである。道場生と私の両方に嘘をついて、己れの都合の良いように道場生と私の両方を手玉にとっていたのであった。妻は当時日本に行ける状況にはなかった。私の代わりに行くと言い張って、人の手を借りなければ、歩けないほど、肉体は、症状は悪化していた。それでも、日本行きを敢行して、アメリカに戻ってきた。戻ってきてから

寝込むようになって、私は必死に看病、介護をしたが、それも虚しく、他界

した。妻は、私の老後の残りの人生を残った道場生と一緒に私がこの氣功を再生することを願って、この世を去ったのであった。師母と猛特訓をした妻は師母の

日本女性で最初で最後の弟子になったことを誇りにしていた。姜吉隆が道統を乱して、自分が、自分が、と別派を立てることを予測警戒していた。師母と二回しか面会していないのに数年間の過酷な訓練をしたと姜吉隆のホームページに書いていたことを烈火のごとく怒っていた。

私はこの妻の気持ちを思うと、尤氏意拳を解散させることは今度は私の命をかけて行う仕事と思わざるを得ない。

ドクター尤老師と欧陽敏師母の気持ちを思うと、居ても立ってもいられない。人のカネを掠め取り、人の気持ちを逆撫でして、人の寿命を縮めた

姜吉隆には尤氏意拳の宗家創始総師範を

名乗らせる訳にはいかない。ましてや、本格的に習ってもいないのに、師母から習ったような印象を与える嘘をついて、

宗家創始総師範の称号を勝手に自分で自分につける厚顔無恥の行為を赦す訳にはいかない。これは私の残りの人生の

ライフワークとなる。

私は宗家創始総師範ではない

私が一時期教えた者は自分で自分を

宗家創始総師範と自称している。

誰もそんな大げさな肩書きで呼んではない。師母も私もそんな名称をつけたこともその実力を認めたこともない。

自分一人で自分をそう呼ぶオトコのことを、何と言うのであろう?一人よがり、

ナルシストであろうか?実力、経験も無ければ、自分で自分をそう呼ぶしかない。

しかし、武術武道の世界でそんなアホウなことをする者などいることなど、

誰が想像するだろう。現実のこの世の中にそんな者が実在しているのは事実

である。そんな狂った頭で本当に

神の武術などと言って、新しい武術団体を立ち上げることなど出来るのであろうか?私は自分を宗家創始総師範と呼んだ

ことはない。神意拳を創立したけども、

自分が宗家創始と思ったことも名乗ったこともない。尤氏長寿養生功の内容を

教わった通り、道場生に伝えて私が

開発したワザと訓練でいかに短期間のうちに早く道場生が上達出来るかと

毎日考えて教えているので自分を宗家創始総師範と呼ぶ理由も傲慢な心も無い。

日本で今現在、私は信頼する、心が純粋で、この氣功のチカラを信じてこの氣功を愛する道場生に教えるだけで幸せを感じている。私も道場生もお互いに幸せを感じていると信じている。私と道場生が信頼関係で結ばれている。特別な

空間、世界なのだ。

謎のインド人実業家

私がインドへ行く前のこと、イギリスで拳法の講習会があって、ホテルに滞在していたところ、インド人の紳士が現われてインドの武術についてお話ししたいと言う。何のこっちゃと思い、話を聞けば、カラリパイトを世に広めて欲しい、インドにもこんな伝統文化や芸術があることを示して欲しいとのことで、できるなら系統立ててシステムとしてまとめて、編纂して欲しいとの当時の我々には

すごく荷が重すぎる要請であった。

出来る限りのことは致しましょうと約束して、別れたが、もらった名刺を確認すると世界的にも知られた OPEC  オペック石油機構のメンバーの一人であった。

どうやって、我々が日本から来てるのか

このホテルに滞在しているのか調べたのか、全て謎だった。そんなことがあって

カラリパイトの調査は実行されたのであった。旧態依然として宗家の権力と

宗家の月謝、昇段試験料金の総取り保持の形態をいかにキープするかということにのみしか興味ない組織団体ではそういう要請に応えることは出来る訳は無い。、カラリパイト調査が出来ただけで良し とせざるを得ない。今、どういうことになっていることかは知る由も無い。

こんな経験があって、私はこの武道団体と訣別して、師母との出会いの後、三十数年後に、私は、今現在、日本で

尤氏長寿養生功を日本で拡めるべく

太田氣功道場を開いているのである。 

今の私であれば、謎のインド人の要請を受けて、喜んで、面白がって、インドと日本の架け橋になることも出来るのにと

懐かしく思い出すのである。

 

インドの文化

私はカラリパイトの調査でマドラス

行ったが、この南インドでは、タミール語を話す。面白いことに、この南

インド人はタミール語と日本語に共通の言葉があるのだと言う。インド人は

自分達をアジア人、日本人と人種が同種であると本気で、そう思っている。

肌の色や体型を見るとそうは思えないが、それだけ日本人に親近感を持って

いるのであろう。日本人はアジアの国々で、特別な地位を持っている。インド人はインドがイギリスから独立出来たのは日本人の力が影響していると思っている。カラリパイトのような武術が

インドに存在していたことも知らなかった。そしてインドには中国の京劇や日本の歌舞伎に匹敵するような伝統の

劇、京劇も存在していた。おそらく、

中国京劇や歌舞伎より古く、世界最古の

芸術である。化粧、顔の表情、目の動かし方など、京劇と歌舞伎に共通したものが非常に多い。東洋の文化と言うと、中国、韓国、日本しか思い浮かばないが、目をもっと外に向けると、カラリパイトのように、また新たな、武術も現われて来る。まだまだ我々の意識は狭いのだ。

もっと、もっと柔軟に広げないと、世界的な視野には立てない。この他にも、

ベトナムにも奥の深い武術が存在していることも、私は知っている。機会があれば、ベトナムにも行って、交流を深めたいと思っている。その時は旅費宿泊費の心配はしたくない。心の悪い先輩上司も

一緒に連れて行くなどないことを願う。

資金を提供しないで欲しい

今週のお題「髪型」北朝鮮のワガママに屈伏してはいけない。尤氏意拳のワガママに屈伏してはいけない。この前代未聞の行為を支えているものはあんなどうでも良い国と団体にどこかの国と生徒が渡している資金の提供である。少しの資金で最後の悪あがきをする。両者犯罪あるいは犯罪に近い行為をしても裁判にもならない。おかしな話である。

ドクター尤、師母の写真と半分裸の女性の写真

我々尤氏長寿養生功のホームページをご覧になったら、分かるように、私は、

ドクター尤と師母の写真を掲載して、

太田氣功道場の由来とその正統性を

主張しているのであるが、一方、

尤氏意拳のホームページには、いつも、

半分裸のカッコ良い女性の写真が載っている。武術と半分裸の女性とは何の関係があるのか?どういうことなのだろう。

こんなことをして、神の武術と名乗る。

神への冒瀆になるとは思わなかったと

見える。

この一件をもってしても、いい加減な

人間が、武術をカッコだけでしているのが分かるはずだ。モデルの女性、ボクシングリングを回るモデルのような女性と一緒に写真を撮って、何を気取っているのであろうか?まるで、人気ボクサー気取りを形にしている証拠ではないか。

このメンタリティはどう解釈したら

良いのだろう。浅はかで、チープで

とても大人の男が武術を探求しているとは思えない。そんなくだらない写真を

掲載して、神の武術として、尤氏意拳

名乗る。バカバカしくて、アホらしい

神の武術である。大体、武術家を名乗る

オトコがモデルを気に入って、半分裸にしてその写真をホームページに掲載する

であろうか?武術を辞めている。モデルのエージェントにでもなったら良いではないか。笑い話にもならない。呆れる話だ。

何遍も言っているが、武術家になれる人間ではない。武術団体を率いる器でも無い。人の上に立てる資質はない。

こんなことでは、社会に貢献するどころか、いろいろな人にまた、迷惑をかけて、社会の害となって、後続の青少年の

それこそ生きたモデルとなって、悪影響を及ぼすだけである。良く調べて、こんなクソ武術団体とは接触しないように、入会金など渡さぬように十分に気をつけないといけない。