辞職したおバカ大臣とおバカ武術家

あれだけ国を騒がせたおバカ大臣はついに観念して、辞職した。もう一人の

おバカ、尤氏意拳のおバカ宗家創始総師範、神田真澄こと神田吉隆こと姜吉隆

はまだ辞職解散していない。

この新興の吹けば飛ぶよな団体は誰も認知すらしていないので、話題にすら登ることもないからその嘘や欺瞞性が全国

レベルで糾弾されることも無い。

このおバカ師範はしぶとく、しつこくて

掠め取ったカネの返済を拒んで、しらぬ

半兵衛を決め込んでいる。おバカの上に

ずるい人間だ。早く辞職解散しなければ、おバカ武術家との称号を死ぬまでつけられる。政治家でも観念した。武術家もそろそろ観念して、己れの進退を

決めた方が良い。私のアドバイスなくして何も出来なくて、一人で武術家を名乗ると、このありさまである。今度も私の

アドバイスを聴いて、団体を解散した方が良い。その後に年月を経て、おバカ

武術家の称号も忘れ去られる。あとは、

返済していないカネだ。団体を解散したら、何か仕事をして生計を立てないと

いつもの美味い酒、メシを買えない。

残りのカネは返済に当てる。しばらくの間は贅沢出来ない。が、おバカとズルイの形容詞は返済後に消える。人間の誇りを取り戻すにはこれ以外、方法は無い。

私のアドバイスを受けて、間違いのあったことはない。今回もこのアドバイス

実行したら、私の追及も無くなる。

おバカ武術家と呼ばれることも無くなる。

 

私のTRAUMA と目白医院

どの国でもトラウマを受けて悩む人々はいる。私もそれに漏れず、幼少期の母親の無学の為に折檻を良く受け、その折檻の一つに火のついたお線香を肌につけられることがあった。小さな子供には恐怖以外の何物でもない。数年経って、母親は乳ガンになり大手術を受ける。手術後、無学の母親は乳ガンの

原因は母がお線香を持って私を追い回した時に私がバタバタする足で母親を蹴った事であると言って、私を責めるようになった。小さな子供の小さな胸は張り裂けそうで、良く大粒の涙を流したものである。罪の意識を植えつけられた。甲斐性のない父親へのどうしようもない怒りを一番小さい私にいつもぶつけていたのであった。私が中学三年生の時に父親は酒の飲み過ぎで他界する。高校入学を果たした私は一心不乱に勉強した。極貧家庭から抜け出す為である。東京の大学に入学出来た時はこの家から正当な理由で抜け出すことができるとして天にも登る気持ちであった。私は入学して間も無く、母危篤の電報を試験の最中に受け取った。私は試験用紙を破り捨て、

そのまま家に帰る。すぐ大学病院に向かって、昏睡状態の母親に話しかけるが、応答はない。朝方呼吸が止まって、私だけが起きていた。私はすぐ担当の医者と看護婦に連絡する。医者が来るまで、私は胸を叩きつけてなんとか呼吸を取り戻そうとした。慣れない人工呼吸で骨の折れる音も聞こえたが、構わず続けた。じきに死亡宣告が出されて、母親は他界した。母親との一連の出来事は私のトラウマとなった。乳ガンを克服する医学の道に進みたかったけども時、既に遅しで、

両親を亡くした私は渡米のチャンスをこれ幸いとして、アメリカへ出発する。

 ニクソン大統領以来、鍼灸治療は、医療先進国といっても、アメリカでは、難病、特にガンは

西洋医学には手に負えない分野で、

西洋医学にとって変わる、代替医療として鍼灸はもてはやされていた。医学に興味のあった私はカイロプラクティック鍼灸のどちらを選ぶか、迷ったけども幅の広い東洋医学治療の出来る鍼灸を選んだ。サンフランシスコに鍼灸大学が身近にあったこともその一つの理由である。学費援助を申し出る友人も現れて東洋医学を本格的に学ぶ機会ができて喜んだ。1994年に大阪に氣功道場を開き、日本全国から道場生が集まる。その中に一人の医師の卵がいた。彼は救命医として、脳神経外科医となった。後には漢方の専門医となり、東京目白に目白医院を開設する。ガンや難病に特化した、統合医療の専門医である。漢方や氣功、代替医療を使い、末期ガンや西洋医学の手に負えない病気に悩む患者を治療して多数の治療の成功例を出している。私と彼、水足一博医師との付き合いは長い。私のトラウマは尤氏長寿養生功を訓練して、今、トラウマは消え去り、念願だった乳ガン撲滅の希望の光は目白医院に引き継がれて、私の母親の仇を取ってもらっている。TRAUMA は消える!。正しい瞑想を教える氣功は私のトラウマを消してくれたのだった。

誕生パーティー

昨日、私の誕生日を幹部道場生が

祝ってくれた。自宅近くの小料理屋で

美味しい海産物の料理をいただき、

幸せな時間を過ごしたのである。

こんな時間をみんなと過ごす時には、氣功談義で質疑応答の時間である。

日ごろの疑問点に私が答える。

練習が終わっても氣功、氣功の毎日で、特に私は二十四時間三百六十五日の氣功三昧である。リタイアして氣功教授が私の仕事になっているので当たり前だが、

幸せである。此の世で大好きな氣功を教授して生計を立てている。私が最も信頼する道場生に囲まれて、氣功談義に花を咲かす。天国極楽である。私のことをいつも気遣ってくれる幹部道場生がいる。他の

リタイアした老人の何人がこんな境地で毎日を過ごしているだろうか?私にはそう何人もいないと思われる。

私は幸せになる君も幸せになる

私はこれまでの波乱万丈の人生を経て、

尤氏長寿養生功を修練して幸せになった。私と同じ苦労しなくても、

尤氏長寿養生功を訓練して幸せになった人間は数多い。瞑想すると前から言ったようにいろいろな傷が癒されて、再生の道を辿ることができる。幸せになる。

そうである。あなたは幸せになれるのだ。幸せになるには健康な精神と肉体が必要になる。尤氏長寿養生功を訓練すると心身共に健康になって、生きる活力

勇気エネルギーが心の底から湧いてくる

マイナスなネガtィブなものには興味がなくなり、常にポジティブなものにしか興味がない。そんな人生を構築し始める。良いことが起きる。無駄使いしなくなる。食べ物も素食になる。当然、

お金が貯まる。生活は簡素となって、

考えもシンプルになって、スッキリする。複雑な人間関係も簡単明瞭になって、ストレスは減る。どうであろう。

良い事尽くめだ

 

与えよ其の二

私は尤氏意拳の神田真澄こと神田吉隆ことカネだ吉隆こと姜吉隆の家族丸ごと、

与えて、助けようとしたのであるが、

姜吉隆は与えることはなく、いつになっても与えられようと必死であった。

どんなことにでも与えたことが無い。

自己中心的でナルシスト。私とテレビに出て、有名になったと思って、まるで、

自分がテレビタレントにでもなった気分

で言動に傲慢さが見られるようになった。実に呆れた人間性ではある。

セレブになった気分なのだ。この頃から

奴の言葉の中にセレブが、セレブが、

の文字が見えてきた。一体何をもってして自分をセレブと言うのか理解不能だ。

道場を任せて直ぐに東京の道場の家賃と高級感溢れる自宅の家賃でクビが

回らない。大本のようワン展を手伝うと

神様が道場生を自分の思いのまま、

集められると聞き、道場生に指導を任せて、自分はようワン展に出かけて、道場

はほっぽり投げている。こんなアホウな

ことをして、道場に道場生が集まる訳

がない。他力本願なのだ。

神様は努力しない者にはチカラを

貸さない。神様が助けてくれるはずがない。ものの道理が分かっていない、

頭は幼稚園児なのだ。見えっぱりの

カッコつけなのだ。そんな奴が

教える瞑想は何を集まる者たちに

もたらすのか、大いに興味のある

ことではある。

そして立ち上げた自称、神の新しい氣の

武術は集まる者に何をオファーするの

だろうか?与えもしない人間が与えられるはずがない。人生の経験もない者が瞑想や武術は教えられない。

教育の意味

教育は英語では EDUCATION  と云う。

そう. EDUCE  である。日本語では

教え育てると書くが、日本語と英語では

大分意味が違って、実践の方法も違う。EDUCE とは日本語に訳すと引き出す、と言う

意味である。生徒の持つ能力個性、得意分野を引き出して伸ばしてあげるのが教育の

本質である。私が日本の小中学校で

学んだ先生は教育の意味などは一切

理解してはいなかった。教師の威厳を

保つことが最も大切なことであった。

私の兄が粗暴であったとしても、私が

粗暴であるとは限らない。

叩いて殴っても、私の能力個性は

引き出されない。私の両親は明治の

典型的な無知無学な態度で子供たちに

接した。親の権威だけ振りかざして、

一番小さく弱い私の立場をもっとそうするように親と姉兄の言うことを聞くように私を育てた。恥を晒すようだが、私の

姉は一人息子を数年前に亡くした。姉は

立ち直れなくて、初対面の誰にでも、

息子の写真を見せて、どのように死んで行ったか詳しく説明する。私はそれを見て、姉の性格を知ってるので、息子を

育てるのに、また親と同じ親の権威だけ振りかざして、プレッシャーを与えた

ことが原因、誘引であった可能性がある

と言ったけども、私の言ってることが分からない。分かろうともしない。親の

因果が子に報い、と言うが、因果因縁

の鎖をどこかで断ち切らないと代々

悪因縁因果は続いて行く。同じ事の

繰り返しとなる。悲しい愚かな事だ。

この悪因縁のチェーンを断ち切ることができるのが教育の力である。

イランで起こった宗教では教育の

重要性を説いて、お金があって子供を学校に送る場合、男より女を優先的に

学校に送るべしと説いている。バハイ

教である。この意味は大きいと考える。

子供は母親に感化させられる。

母親に教育があれば、子供をより高い

教育を受けさせる事になるからだ。

今、世界が格差の問題で上を下へと

大問題になっているが、高い教育は収入を増やして格差を縮める。解決策の一つとなり得る。私も大賛成である。

 

神の試練

私が無学極貧の家に生まれて日本とアメリカの両国で波乱万丈の生活を送って、

また、日本に戻ってきたその行程は

厳しくも辛いものではあった。しかし、

今振り返ると、これは神が私に与えた

試練であったのではないかと思うように

なっている。この試練を乗り越えることができるか、できないか、できれば、英語と氣功と鍼灸の習得を許して

やろう!と云うことではなかったか?

私が生来ノンビリしている性格で、キチッと何でも完璧にはできないので、こんな状況に

でも追い込まなければ、何も達成

できない人生であった。そんな私を

神は知ってて、無学極貧の家に生まれさせて様子を見ていたのである、と私は

解釈している。今日本に帰国して、

私が辿った旅もそんなに悪いものでも無かった。面白い事も、楽しい事もあった。全て経験である。経験無くして、

今の私は無い。全て今の自分の肥やしになっているのである。

乗り越えられない試練は神は与えない、と言うが、私はラッキーにも、乗り越えることが出来たのであった。

無事日本に帰国出来て、感謝、感謝

である。嬉しく楽しい毎日を過ごしている。