スペインの孤島
アトランダムに気の向くままにブログ記事を書いている。今回も思い出すままに頭に浮かぶ情景が目に浮かんだ島の話をして見たい。武道の講習会が終わり、
時間が余って、飛行機乗り放題というマドリッドを起点にスペイン国内ならば
往復してマドリッドに帰る予定で、日本人旅行者は誰もいない場所へと行って見た。その島は変わった島で月世界のように岩がゴロゴロしており、ある洞窟に目の無いカニが棲息していた。カニと言っても指の爪のサイズで、ヤット探して見つけた。その頃はスペインの人間達とは、
かなり密着してつきあった。良い連中であったが、私が自費で講習会に何回か
行くうちに当たり前のことようになって、私の交通費は支給しなくなった。
甘やかし過ぎたのである。神田真澄こと
神田吉隆こと姜吉隆の場合も同じだが、
自分のポケットからは一銭も出さなくなる。別に私にお金がある訳で無く、良い
人間達との交流を大事にして交通費、講習費を請求しなかった為である。
少しではあったが、支給された講習費を使わせてもらったのである。
アメリカの生活が余りにもプラスチックに感じて当時のスペインの生活が有機的で、人間味溢れるモノに感じて何度も
訪れたのである。日本人には馴染みやすい国で、私には心地よいところであった。私は言葉を覚えることは苦にならない。二、三週間滞在すると片言の
日常会話をいっぱい覚えて現地の人と
会話しては驚かせていた。次はバスク地方の街の話をしよう。
波乱万丈
私の今までの人生は波乱万丈と言わざるを得ない。波乱万丈と言えば、私の義母も波乱万丈の人であった。私の妻の話によれば、駆け落ちのように結婚した夫が破産してゼロからスタートしたらしい。
寝ないで働いて、家を買う程のお金を貯めて事業に成功した。箱入り娘で育った義母には、苦労の連続だった。
私がお会いした時には、電車の切符の
買い方を知らなかった。そんな義母が、
私の境遇を知って、同情してくれたのは
当然であったかも知れない。私と義母には暗黙の絆があった。波乱万丈の同士とでも言おうか?私も日本、アメリカと
二つの人生を波乱万丈に送り、今日本に
住んでいる。氣功を教授しながら、
穏やかな日々を過ごしている。義母は
オシャレで、着物をいつも、ピシッと
着こなしていた。私に事業のイロハを
教えてくれたのであった。波乱万丈の
人生、生活を送った人は、私も含めて、
ただ勝手に自分一人で生きているのではない、何かのチカラで「生かされている」ということを知っている。義母は
もっと長く生きられたものが、若くして
亡くなった。美人薄命であった。
死ぬところを二度も助かった私は義母の分まで長く生かされて、自分のするべきことを全うして自分の人生を楽しみたいと思っている。またお義母さんと会いたい。とても懐かしい。
感情
人間の感情には何があるだろうか?
簡単に言えば、喜怒哀楽であろう。
もっと言うと、私には笑いと喜びがある。
この中で最良の感情は笑い、喜びであることは、誰にでも分かる。
私は良く妻を笑わせた。妻も冗談が
好きで、一度などは、私の大きな腹や身体に人の顔を描いて、楽しんでいた。
絵が上手かった。記念に写真を撮っていたけども、帰国の際に無くしてしまった。家の後片付けに雇ったラテンアメリカンの女性がそれを見つけて、壁に手をついて大笑いしていた。
妻の今月の三回忌の命日に会食をする。
道場生全員を笑わせてやろうと、女装をする予定だ。女装することに興味がある訳ではない。顔にメイクアップして
老人の顔を女性の顔に変えるだけで、
みんなを笑わせるだけである。チョット
気持ち悪がられるかもしれないが、
ハロウィーンと重なるから、気の
狂った老人と思われることもないだろ
う。今年は私だけでやる。来年には
男子道場生全員に女装もさせて、
スカートやドレスも履いてもらおうと思っている。オヤジ顔がどんな綺麗な
女性の顔になるのか、来年が楽しみでならない。足に合うサイズのハイヒールは
あるだろうか?
奇跡其の二
奇跡が起こっている。デイケアセンターに予約をしていたのであるが、、 満杯満員御礼で半年も予約が取れなくていた。今日の話で火曜日に予約を入れられると言う。土曜日ならば取れると言うのでその腹づもりであった。都合が
悪かった。金曜日夜に訓練があって、
最近は目いっぱい氣を使って指導員を
指導するので、土曜日は休みの日なのだ。一日中休まないと日曜日の訓練が
辛くなっている。火曜日ならば問題無い。
デイケアセンターではお風呂と脚の
リハビリがお目当だ。奇跡的な回復を見せている左脚を筋力アップしてさらなる奇跡を起こす。
予約の奇跡が奇跡の脚にますますの奇跡を起こす。次の奇跡は何になるのか、
楽しみでしょうがない。
私の老後の人生は次の奇跡を待つ
ワクワクした気分で、次の日を待つ
少年のような心持ちでいっぱいだ。
手段と方法
私は尤氏長寿養生功を大げさに言えば、私の生命を賭けて学んだ。学んでいる間は教えようとか、カネを儲けてやろうとか、この氣功を使って有名になってやろうとか、思ったことはない。通氣になって、師母の方から、お前が日本で教える時には、師母から習った、と言え!お前の道場にはたくさんな道場生を集めてカネを儲けて尤氏長寿養生功を全国に広めるんだ!とハッパをかけられていたのである。私だけが純金の指輪と師母の若い時の写真をいただき、暗に私の日本での道場開設と教授を認められたのである。今まで、私は尤氏長寿養生功を訓練することによって人の役に立つ点を力説すると同時にドクター尤老師と師母を紹介することに努めて来た。尤氏長寿養生功は人医学の分野で人類の役に立つことが分かっても来たのである。しかし、尤氏意拳明光武道の師範師、キッパリ道場の師範師たちは自分の道場を開く時の手段と方法があまりに自分勝手で、うす汚い、自己顕示欲のキツイ心で奪うように総師範、総大将にそれぞれ収まっている。汚い手段と方法で獲ったモノは必ず破綻する。長続きするはずがない。これ、人間の歴史の示すところである。金銭欲で心を狂わされた行動で得たモノも同様にスグに失くしてしまう結果となる。
ホントとウソ
私がこのブログで言ってきたことは
ホントである。あの忌まわしい尤氏意拳の神田真澄こと神田吉隆ことカネだよ吉隆こと姜吉隆はウソばかり言う。後になってバレるウソはつかない方がいい。
ウソは泥棒の始まりと言う。確かに泥棒のように供出させたカネと私の名前で作った大借金を返済せずに逃げ回っているから、泥棒をしたようなものである。
ウソをついた者は、天からの、神からの
罰を必ず受ける。今すぐにで無くとも、
いずれは遅かれ早かれ、時間の問題だ。
恐ろしい結果が待っている。神道の信者を名乗り、教義を習い、聖地で瞑想するフリの写真をホームページに掲載する。
アコギな集客人集めをしている。こんな超大先生が瞑想家でござい、と言う。
単純で、
見た目で判断する者は集まってくるが、ホントの目を持つ生徒は去っていく。
このウソ人間の教えを受けた元道場生は今私の道場で大粒の汗をかいて、ホントの尤氏長寿養生功の訓練の真っ最中である。
ホントの技を習っている。そのギャップは天と地ほど大きい。ウソをつくと
ロクなことは起きない。親戚にも愛想をつかされて、勘当状態だ。自分の葬式には親戚おじさんおばさんでも来ないだろう。果たして自分のダチの日本拳法の
生徒は何人来るであろうか?