二重国籍

私のパスポートを今日申請した。一週間後に取りに来いとの事である。とても早い。日本の書類好きはドイツ人並みである。何でもペーパー、ペーパーで戸籍謄本抄本住民票から免許証まで、私の免許証はアメリカで更新出来なかったので写真付きの証明書は身体障害者手帳しかない。兎にも角にも、提出申請出来た。

こうして着々とタヒチ行きの準備が出来ている。タヒチでは海水浴を楽しむつもりでいる。三年前は思いもしなかったが、手足の不自由さが軽減して、昨日も

デイケアのリハビリで前受け身を一人で練習していたら、ここでは辞めろと注意される。私自身は何も怖れてないが、見ている方が怖がっている。あちらの責任を気にしている。これからもうしてはいけないと念を押されてこれからは練習でしか受け身の訓練は出来なくなった。

これで良い。練習で思う存分行なうつもりだ。私はまだアメリカのパスポートを持っているので、法律的には私は二重国籍である。あと十年まで使えるパスポートなのでキープするのである。私以外に二重のパスポートを持って二重国籍を持つ者はたくさんいるのを知っている。

女子スピードスケート

最近の日本人女子スピードスケートは

世界の水準になった。スピードスケートに限らず、スポーツの分野での日本人の活躍は目を見張るものがある。今までは西洋人が先にしていたので西洋のスポーツは慣れていないせいもあって、活躍出来る場は無かったけれども、所詮、同じ人間のしている事であるから、日本人が

やって出来ない事は無い。今、日本人の

知力をもって、体格も向上している時に

効果的なトレーニングと技術の向上によって世界のレベルになって当然だ。

我々尤氏長寿養生功の視点から見れば、

スピードスケートのポイントは滑る

姿勢をどれだけ低く保つかにかかっているように思われる。そして筋力がもう持たないと思う瞬間にもう一つギアを上げることが出来るかであろう。口で言うのは、見ているだけの者が何を言うか!と

言われそうだが、我々の練習ではジャンプを出来る限りした後に、疲れて脚の筋力がギブアップしているのに私がもっと氣を

道場生に向けて、さらにジャンプを

させるのである。もうダメだと思っている道場生の筋肉をさらに強化して氣の

出力を促している。道場生の脚の筋肉は

異常なほど太くなっている。ここまで脚を鍛えるとどんなスポーツでも通用する。今のところ、日本の武術例えば、柔道などで応用することができると思っている。証明するしかないが、そのチャンスがない。その日はいつ来るのであろうか?

ホンモノの勁空勁

いまだに、尤氏長寿養生功のまがいものの勁空勁を教える者がいて、そんなニセモノをホンモノと間違えて理性もなく、

ある程度の鼻くその地位を与えられて、

まちがった指導をさせられていいように使われている者たちがいる。可哀想なことである。それに比べて、太田氣功道場では、私が師母より通氣を授けられて以来、私の氣はさらにさらに重く強くなった氣で新しいレベルの勁空勁を指導員と

道場生に試している。訓練には、私の

創意でプラスチックの野球バット、

オモチャの拳銃、オモチャのナイフ

などを百均のショップで買ってそれらを

使ってみんなの氣と技向上に役立てている。最近では扇子を持って指導員と道場生を勁空勁で投げている。ニセモノの

勁空勁とは雲泥の差であろう。私が三十年も前に教えた鼻くそのような技を

ホンモノの勁空勁として教えて、その鼻くそ勁空勁をホンモノと信じ込んだ

生徒にまちがった指導をさせて次の世代がホンモノの勁空勁を知らずにドンドン

ニセモノ勁空勁を伝えていく。ますますの混乱を引き起こしているニセモノ

尤氏長寿養生功の団体はその混乱の責任をどう取るのであろうか?何遍も言っているのだが、お前たちの未来のない

訓練指導は何の意味もない。十年もの

時間とカネを無駄にした元道場生は

今私の太田氣功道場で指導員となって、

元師範のチカラをとっくに超えたレベルにある。これ以上の無駄な時間とカネを使うバカな行為はやめよ!自分の権威を

ひけらかせて、子どものような技を

騙して教える者に一体何年間訓練したのですか?と一度聞いてみるがよい。

私がお前たちの宗家創始総師範に教えた

期間はたったの一ヶ月である。お前たちは何年間訓練しているのだろうか?

おかしいとは思わないか?

騙されていることに気づかないか?

いい加減に眼を覚ませ!

ホンモノの勁空勁を見たければ、体験したければ、講習会に来い。講習料は

要らない。ホンモノの勁空勁を見せてやる。体験させてやる!私はウソをつかない。師母が他界するまで私はさらなる

高みを目指して修行した。日本に帰国してから、私の氣はもっと強くもっと重くなった。昔の私ではない。その氣の

チカラを試してみるがよい。

講習会で会おう。言うのを忘れたが、

ニセモノ勁空勁を教える者は自分の鼻くそ勁空勁ですら教えることはない。

教えてしまったら、自分の居場所がないのだ。いつまでたっても、今のままである

向上上達はない。良く考えよ。

逃げも隠れもする宗家総師範

道場への寄付という名目と私の名を使って借金したカネでドイツの高級車に

モデルのオンナを乗せて贅沢に使った

使途不明金を全額返済せよとの警告に

対して、政治家ならば、逃げも隠れも致しませんと言うが、自称尤氏意拳の宗家創始総師範である神田真澄別名神田吉隆本名姜吉隆は、その後逃げて隠れて何の音沙汰もない。自分に何の正統性と

正当性の論理と実証がないのを知ってか、言われてごもっともと言うことなのか、一切の反論もない。それならば

返済するまで追及するしかない。

カネの不始末を自分のウソと虚偽の言葉で何百万ものカネを供出させて、私の名を使った借金をしたならば、これは

立派な詐欺である。詐欺師が新しい武術を立ち上げて、内容は日本拳法

尤氏意拳と自称している。詐欺師が

こんな武術を立ち上げているならば、

これは詐欺ではないと誰が言えよう。

一時期師匠であった私から見れば、

これは立派な詐欺である。立派な武術家と称する者が他人の名で借金をするであろうか?詐欺をするであろうか?

道場への寄付として集めたカネでドイツの高級車を乗り回し、助手席にモデルのオンナを乗せるであろうか?それ以来、

逃げも隠れもしている自称尤氏意拳

宗家創始総師範の立派な行状ではある。

 

 

若い頃、精神が清く自分にお金があまり無い時には、貧しくとも理想の姿を求めて奔走するが、社会に出て荒波に揉まれて自分の生活にお金が必要になると

理想や志はどうでも良くなり、現実的になることは当たり前のようである。しかし、他人がそうしているからと言って、

自分もそうなって当然に思う必要はない。理想や志を持ち続けることも可能である。自分が大好きなこと、ものを

若い頃からずっとして社会人になっても

老年になっても志を突き通して自分の理想とするものを構築することは貴重で

幸せなことである。例え、貧しくとも

志を高くカネの誘惑に負けず、若い頃思い描いた理想の姿を追い求める。

この人生はその人を純粋にして、若くする。逆に理想と志を捨て去り、カネを

追い求めて社会の塵に汚れてしまうと

あれほど純粋だった心は汚れて顔もうす汚れて顔も身体も醜くなってしまう。

現実と理想を天秤にかけて、どうしても

現実のウエイトが大きくなるのであろう。いつも僭越だが、私のケースを言おう。大学の時に武道に出会いがあり、

子どもの頃から憧れて自分の心身共に

鍛えたいと思っていたので大学が全共闘の活動の為閉鎖されていた為に何もする事もない私には武道を練習するには好都合なことであった。結果アメリカに行くことになり、単身カリフォルニアの

学生の町バークレーに行って武道の教授は始まった。学生の町だから月謝は

たくさん取れない。当然貧乏生活となる。そんな時は余計に精神は強く純粋になって行動にも日本人であることを意識して大和魂を胸に恥な行為はしないように気をつけた。昇級試験の料金には手をつけずに全て本部に送った。周りがほとんど学生で貧乏は気にならなかった。

少しづつでも生徒は増えてきたが、月謝は高くは出来ない。

学生気分が抜けない。ある日日本から来た男と話をしてもビジネスの話はあまりに生々しく、カネを儲けることしか頭に無くて、すごく汚ない感じがした。

永住権目当てに結婚を申し込まれて不覚にも結婚してからはそんな

学生気分には慣れない。仕事が必要だ。

日系の食品会社のセールスマンになって

やっと生活は落ち着き武道の指導と生活の両立は可能となったがもっと技の向上を目指して本部に行くことになることになった。拳法の創立者が死亡したことも

日本の本部行きに拍車をかけた。生活の安定を捨てて日本に行くことはもちろん

カネのことしか頭にない妻には反対された。日本の本部ではさまざまな先生と

直の交流があって、私の武道への好奇心は満足した。本部での生活は今までと違い、武道を指導する側の実体がまざまざと見てしまうことになる。私の仕事の成果は

上司に横取りされて、私の直情的な進言は無視されて、雑でバカな、親玉に取り付く海外の人間の一方的な意見ばかり取り入れる不条理な武道本部に失望して

アメリカに戻るのは当然なことだった。

次の仕事もないままにアメリカに戻った私にまた経済的な負担が肩にのしかかって、武道との両立を図るが、上手くいかずに妻との折り合いがますます悪くなってとうとう離婚となった。私の武道への想いと妻のカネへの想いが対立したのだった。子どもを小さな頃からカネの儲かる

歌手や医者にしようとヤッキになる姿には女性の魅力は何もないように見えた。

あまりの理想と現実の違いであったろうか。日本で出会った先生から教わった

東洋医学に傾倒していた私は本格的に

東洋医学を目指すようになった。鍼灸学校に入学した私は若い頃以上に一心不乱に勉強した。試験に合格した私は韓国の武術にまで理想の武道を求めたが、ついに尤氏長寿養生功と出会う。理想の師を見つけた私は全身全霊で修練した。

師母は私の期待を裏切らず、私は師母の期待に応えた。私の志はこの歳になって、ようやく実を結んだのである。

尤氏長寿養生功は瞑想主体の氣功では

あるが、内容は完全無欠の最強の中国武術である。以前の恥なカネとモデルコンプレックスの師範を破門した今、私は

今、

理想の武術団体運営を指導員と共に目指している。これだけの右往曲折があった私は今この上ない喜びと幸せを感じている。

志と理想は一生涯持つべきもので、

諦めてはいけないものであった。

希望

日本の建築家に内臓のほとんど心臓と腸を残して脾臓膵臓胆嚢などを手術で取って、七十を超えて

すごく元気に仕事をバリバリこなす人がいる。希望があるから出来るのだと豪語する。人生に希望を失くすと死期を早める。生きる上のハリと希望は大事なものだ。私もひざを壊して左手首を大骨折して身体障害者になっているが、尤氏長寿養生功を教授して、歩くにヨロヨロで杖がなければ危なっかしい。しかし、希望で満ち溢れている。昨日も練習で前受け身を決行して、意気は上がっている。

技も前からあたためていた扇子を使った技を試して成功した。アイデアは毎日のように湧いてくる。氣功のことを毎日

考えている。楽しくてしょうがない。

老年になって、同年代の人は完全にリタイアしておじいちゃんになっているが、

私はいまだに現役である。私の息子のような道場生を思う存分投げ飛ばし、壁に向かって飛ばしている。ますます元気で

強くなっている。練習後のビールや食事がとても美味しい。その時の会話も、

話題も、豊富で若い。スマホの使い方を習って、日常生活に活かす。道場生は

私の友達のように感じる。師匠と弟子の垣根は無い。来年のタヒチ、その後の

海外への講習会開催の希望も生まれて

心はワクワクして冗談は尽きない。

道場生をからかって、笑いは絶えない。

練習中も氣で全員をコントロールして

みんなの反応があまりに面白く、大笑いをする。これじゃあ百まで生きるのは間違いないな、と言ってまた笑う。楽しくてしょうがない。お互い無くてはならない存在になっている。みんなで同じ希望を共有する。その希望を持って、私も

道場生も長生きして百を超えて生きるのである。